2022.02.06 17:00
師エリヤを超えたエリシャ
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
原理講論に「神は(北イスラエルに)預言者エリヤのほかにも、エリシャを遣わされて命懸けの伝道をするように摂理された」(477ページ)と記されたエリシャ。彼はエリヤの後継者として数多くの奇跡を行った預言者です。エリシャとはヘブライ語で「神は救い」の意で、イエス様の名の「ヤハウェは救い」と通じるものです。
エリヤから預言者の資質を相続
エリヤが王妃イゼベルの差し向けた刺客の手から逃れ、ホレブ山で精根尽き果てようとした時、神様はエリヤに「エリシャに油を注いで、あなたに代って預言者としなさい」(列王紀上19章16節)と命じました。
エリシャはもともと若い農民でした。彼は12頭もの牛を追いつつ畑を耕していた時、エリヤから外套(がいとう)を掛けられ、神の召命を感じ、即座にエリヤに従う決心をします。彼は家に帰って近所の人を招き、牛をほふり、牛の頸木(くびき)を燃やして肉料理を食べさせました。農耕に使う牛をほふり、しかも牛をつなぐための頸木まで燃やしたのです。これは再び農民には戻らないというエリシャの信仰表明にほかなりません。
イエス様は、自分に従うと誓いながら別のことを優先させようとした弟子に対して、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくない」と語られました。この「弟子の覚悟」と呼ばれる箇所(ルカによる福音書9章57~62節)は、エリシャの一連の召命物語とダブらせながら編集されているといわれています。
列王紀下1章に、北イスラエルの王が部下をエリヤのもとへ差し向けた時、天の火によって滅ぼされる話が記されていますが、エルサレムへ向かうイエス様一行がサマリヤの地で歓迎されなかった時、弟子が「主よ…彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」(ルカによる福音書9章54節)と語った場面は、実はこの列王紀下1章とダブらせて述べられているのです。
やがて最期が近づいたエリヤは、寄留するギルガル、ベテル、エリコのそれぞれの地で、エリシャに「どうぞ、ここにとどまってください」と言いますが、しかしエリシャは「私はあなたを離れません」と何度も誓って、どこまでもエリヤに同行していきます。神の人エリヤを慕うエリシャの心情は火のように燃えていたのです。彼は、エリヤが火の車と共につむじ風に乗って昇天する時まで(列王紀下2章11節)常に共に歩み、預言者としての資質と霊的力の全てを相続していったのです。
主を慕い、為に生きる生活に徹する
最後にエリヤがエリシャに「してほしい事を求めなさい」と言った時、彼は「どうぞ、あなたの霊の二つの分を…継がせてください」と答えます。二つの分とは、長子権を持つ者がほかの兄弟に比べて2倍相続することで(申命記21章17節)、この応答から彼はエリヤを実の父として慕いつつ生活していたことがうかがわれます。
その後、文字どおりに「師の衣鉢(いはつ)を継いだ」預言者エリシャは数多くの奇跡を行いました。聖書に記された奇跡の数はエリヤが8回であるのに対して、エリシャはその倍の16回です。しかもその多くは、水の浄化、らい病の治癒、毒物の除去、少しのパンで多くの人を養うといった、為に生きる奇跡でした。
また、聖書には死者をよみがえらせる奇跡物語が七つ書かれていますが、その内三つがイエス様によるもので、残り四つはペテロ、パウロ、エリヤ、エリシャです。
イエス様は十二弟子たちに「弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう」(ルカによる福音書6章40節)と語られました。しかしエリシャはある面で師エリヤを超えたと言い得る世界を持っています。エリシャをそうさせたものは何だったのでしょうか。
それは、▽エリヤの苦難を見て、神の苦悩を悟った。▽神の召命に対し、全てを捨てて従った。▽いちずに最後までエリヤに従っていった。▽師エリヤを実の父親のように慕った。▽為に生きる精神に満ちあふれていた――以上の要件にこそ、一介の農民だったエリシャを偉大な預言者たらしめた理由があったと言えるでしょう。
私たちもエリシャのように、いちずに主を慕い、為に生きる生活に徹したいものです。
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次回は、「神を代弁したイザヤ」をお届けします。