2022.02.23 12:00
『祝福家庭』78号(2015年 秋季号)
誌上説教
感謝と笑いの生活
前川浩子(777双)
感謝、祈り、笑いについて、3回で紹介します。
神様を実感できずにいた私は、申美植(シン・ミシㇰ)先生〔崔奉春(チュェ・ボンチュン)〈日本名・西川勝〉宣教師夫人、36双〕に相談すると、このように言われました。
「自分のことも祈りなさい」
「あなたはもっと自分のことを神様に祈らなければなりません。
人間を創られたのは神様ですから、私という人間を創り変えるのも神様しかいらっしゃいません。自分のことを神様に祈らなければ、神様もあなたに関心をもって干渉することができないんですよ」
びっくりしました。
統一教会(世界平和統一家庭連合)は神様と人類、世界、国家のために祈るところだと考えていたので、祈祷では、常に心にもない公的なことばかりを祈り、疲れ果てていました。
この3年間、自分のためになど、一切祈ってこなかったのです。
歩めども、生まれ変わるどころか、ますます自己中心的になっていた私でした。
美植先生は、神様に聞かれる祈りと聞かれない祈りがあることも教えてくださいました。
人が天に向かって祈るとき、最も自己中心的になります。祈りながら、我知らず自分の要求ばかりをしてしまうというのです。
「最初からそのように祈ると、サタンが喜びます。それでは、何年、祈りを捧げても神様は聞かれませんよ」と、神様に聞かれる祈り方を教えてくださいました。
まず、悔い改め、公的に祈るということです。
祈りは、悔い改めから出発します。私たちは自分でも知らないうちに罪を犯しています。
ですから、心から神様の前に悔い改め、赦(ゆる)しを請えば、赦される道があります。
最初に、アダムとエバの堕落について悔い改めるようにと言われました。人間の不幸がここから始まったからです。
アダムとエバの堕落が、神様を悲しませ、人間世界をめちゃくちゃにしてしまいました。
次に「公的な祈りをしなさい、み旨のため、教会長のため、兄弟姉妹のため、夫のため、子供のために祈って、それから、謙虚な心情で自分のことを祈るように」と言われました。
「原理的な祈りは、原理的な神様に聞かれる」と知りました。
原理的に祈れば、神が聞いてくださる
早朝と夜には、聖地(当時、東京都渋谷区の南平台教会の庭)で、教えられたとおりに祈りました。
「神様、アダムとエバの罪をお赦しください。6000年前にアダムとエバが神様の前で不信仰を犯し、天使長に誘惑されて、身勝手に堕落しました。その罪ゆえに神様が悲しまれ、人類も不幸になりました。どうか、このアダムとエバをお赦しください」
次に教会の中心者をはじめ兄弟姉妹のため、さまざまな公的なことを祈りました。
しかし、私の心の中は自分の悩みでいっぱいでしたから「アダムとエバの罪を赦してほしい」という思いも「人のために」という思いも全くなかったので、口先で祈るだけでした。
ですから、「神様の前に、こんな心にもないことを祈っていいのだろうか?」とふと思いました。
そんな私に、「いいんだよ。心になくても、形だけでも原理型を取ってお祈りをしなさい」と天から声が聞こえてきました。
私は「原理型は真理にかなうやり方だから、形だけでも原理型を取ることが第一なのか」と得心したのです。
いよいよ自分のことを祈る時間が来ると、わくわくしました。「神様、私はこうなのです、ああなのです…」と、あらゆることを祈りました。
祈りを終えたとき、とても心が軽くなり、春が来たようでした。
「これで大丈夫! 全て神様が聞いてくださる。問題は必ず解決する!」
祈祷を通して、このような体験をしたのは初めてでした。
私はまた、原理用語で分からない言葉は、全て神様に尋ねました。
「神様、蕩減ということが分かりません。蕩減とは何か、教えてください」「責任者が原理的にしなさいと言うのですが、原理的とは何ですか?」という具合です。
尋ねると、神様は必ず、兄弟との会話や礼拝の説教、訓読といったさまざまなことを通して答えを与えてくださり、問題が解決していきました。
私はいつも神様が共にいてくださるという実感をもって生活するようになりました。
---
こちらの内容は『祝福家庭』78号「誌上説教」で全文をお読みいただけます。
購読はコチラ