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心情開拓
心霊を育てる生活原則(37)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

4 復帰歴史に見る生活原理
(1970年1121日)

▲李耀翰先生

蕩減条件の三種の立て方

 蕩減(とうげん)には、三つの仕方があります。まず同じ程度の蕩減です。平面的に、時間的に同じ程度だと、そういう失敗には同情できないものです。また、自分は知っていて、結局責任を果たすべき立場にいながら失敗した時には、同じ条件で蕩減しなくてはならないのです。

 それから、先祖の失敗した立場を相続して蕩減する場合は、ごく小さい条件で蕩減できます。その理由は、血統的に蕩減してきた歴史があるので、その期間、相当苦しむことによって、ごく小さくなってくるのです。結局そういう時間性をもって何かに誠意を尽くした実績があるので、その後孫は、ごく小さい条件を立てて、失敗以前の立場に立つことを認められるのです。そういう歴史性をもっているのです。

 それから、アブラハムの場合、はと一羽を分立しないでささげた条件が、400年という大きな蕩減期間として延長しました。それは誠意を尽くせば、いくらでも果たせる立場にいながら失敗した時、また自分という存在は、歴史を代表している存在なのに、それを知らずに失敗した時、それがいくら小さい条件であっても、大きな蕩減条件になってしまいます。歴史的な責任をもたなければならない場合は、そうなるということがよく分かるのです。

 特に、歴史的転換の時に、6000年間待ちに待ってきたのに失敗したなら、6000年間の失敗に責任をもたなければなりません。歴史的瞬間に少し誠意を尽くせば、6000年間の復帰摂理の信仰基台を相続することができるし、また、その瞬間に歴史的な自分を重んじたなら、その歴史を相続することができるのです。そういう「時」が重要です。

 また、日本で開拓や伝道しながら苦労して、祝福を受けに来た場合など、一番危ないのです。祝福を受けに来て大先生に面会して、その時に自分が失敗した場合には、自分の今までの信仰基台を全部ほうり出すような、また崩してしまうような立場に立ってしまうのです。その瞬間に自分が今まで信仰してきた全目的が実らなければならない立場でありながら、平面的に簡単に考える人は、今まで信仰してきた自分が、何を重んじ、何を主体として、何を目的としてきたのかという歴史性を忘れて、ああだこうだと感じてしまうのです。そういう時には、大きな問題になります。

 私たちにおいては、何か目的をもって宣誓をしたりする瞬間、あるいは何か一生涯自分の生命と思ってきた瞬間、つまり大先生と関連しなければならない瞬間が、全歴史を与えようとした瞬間であり、また自分の全生涯を与えようとした瞬間だというのです。アブラハムのはとの献祭の時も、そういう立場です。

 そういうことからすれば、結局、最後に来て崩れるのは、今の出来事ではなく、それまで歩いてきた生活そのものが崩れていたから、そういう結果が出てくるのです。事件にぶつかっても、「自分がそういうふうに歩いてきたから、こういうのが現れた」と思わずに、「その時だけ」と思ったり、「相手が悪いから、こういうふうになったのだ」と思ったりするのです。これは蕩減生活をしてきた人の考え方ではありません。

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 次回は、「『信仰基台』と『実体基台』を発見する」をお届けします。


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