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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(38)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼(キム・ウォンピル)先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
三、興南監獄での伝道

▲金元弼先生

裁判で5年の実刑が下る

 私は教会生活の中で、先生は静かな方とだけ考えていました。けれども、先生の威厳のある様子を見た時に、先生の違った世界を見始めました。本当に闘う時が来たと感じました。先生が考えていらっしゃる様子は、これから闘う時が来るというふうに構えていらっしゃるような、あるものを感じました。

 裁判の全貌が新聞紙上に発表され、多くの既成教会の人たちが裁判所に集まってきました。彼らは、「イエスは頭に何をかぶっていたか」と嘲笑し、先生を「殺さなければならない」と叫びました。先生は多くの教会指導者たちや共産党員たちが大勢傍聴する中で、47日に、公判の席に出られ、大きく背伸びをし、余裕をもって堂々と裁判を受けていらっしゃいました。その姿に、教会では見られなかった面を見て、深く考えさせられるところがありました。

 最初に先生の裁判が始まり、彼らが第一に先生に質問したことは、「お前、何を専攻したのか」ということです。それから、名前などを全部聞くのです。先生は、「電気工学を専攻した」と答えました。それで彼らは、「それでは、電気はどのようにしてつくるのか」と質問しました。先生は、電気がどのようにしてできるのか電気発生の原理を説明していかれました。彼らはその点をねらったのです。

 なぜならば、電気は見えないものであり、人間がつくるものです。それで、人間が見えない電気をつくるというならば、神は見えないのだから人間がつくったものだというのでした。見えない電気を人間がつくるように、人間は神を、あるようにつくり上げたのだというのです。

 そのようにして、先生に対するいろいろな問題を取り上げていったのです。そして、先生に対する判決文を読み上げました。そこには、先生がたくさんの無知な人たちを甘い言葉で誘惑して、虚偽を捏造(ねつぞう)し、たくさんの金品を搾取したとか、キリスト教の信者たちの家庭や社会を破壊したということが記され、さらに社会の秩序を乱したという名目で判決したのです。

 判事は判決文を全部読んでから、「これに関して改める言葉はないか」と先生に聞きました。先生は、判決文の中で、社会秩序を乱したとか金品を取ったとかということにはひと言も触れないで、北韓で虚偽を捏造したという名目に対しては、「判決文から取り除きなさい」と願い立てました。

 共産主義の社会でそういう話をすれば、かえって罪が重くなるということを考えるので、普通の人は、「あなたの言うとおりに服従しますから、何とか罪を軽くしてください」という思いをもって、黙っています。しかし、先生はそういうことは問題にしないで、正しいことは正しいとしたのです。「要請を受け入れる」と判事は答えました。

 こうして先生は、5年の実刑判決を受けました。他の人たちは、手錠をかけられた先生の姿を見て、泣いていました。先生は大変ひもじいはずですから、メンバーの一人(玉世賢〈オㇰ・セヒョン〉先生)が先生にお弁当を作ってさしあげました。私たちは、これから5年間は先生との時間をもてなくなり、別れていなければならない立場に立ちました。それはちょうど、親から離れる子供のような心情でした。

 先生は他の囚人と同じく、片方の手には手錠がかけられ、片方には食べ残したお弁当を下げていました。私たちといよいよ別れるとなると、弁当をお持ちの手を高く挙げて、「私は、今は行くが、再び帰ってくる時まで元気で頑張っていなさい」と暗示をしてくださりながら、笑顔で私たちを送ってくださいました。

 先生には一つの啓示があって、牢屋には先生を迎えるために青年が待っている、ということを御存じでした。それで牢屋に入られる時にも、その人に会えるという喜びと希望を抱いて出発されたのでした。

 裁判を終えて、先生は既決囚たちの待合室で待っていたのですが、そこに、たまたま先生を調査した検事が何かの用事があって通りかかりました。その時に、彼は長い月日の間先生を取り調べていましたから、先生の顔は一見して分かるはずですが、良心の呵責があったので、知らぬふりをして通り過ぎようとしました。

 先生は彼を呼び止めて、「私が分からないでしょうか」と聞かれたのです。すると彼は、「そうでしたね」と答えました。そして先生に本当に申し訳ない顔をして、「実はあなたについて何もなかったのですが、上のほうから命令がありましたので、私は致し方なくてこうなりました。人間的なことは全部水に流して、私をお許しください」と先生に話しました。

 そして彼は出て行ったのですけれども、先生が牢屋に入られると、彼からたくさんの食べ物が贈られていました。

 先生はその食べ物を見て、食べるべきか、そうすべきでないかと思って、長い時間を費やされたのです。というのは、彼が薬を中に入れているのではないかと考えられたからです。先生の性格として、もし先生がその人であったら、体面を考えて差し入れなどはできないと考えられたのです。その体面を乗り越えて、先生に差し入れをしたという心を非常に重く見られたのです。

 先生ができないようなことを、彼はしたのです。そういうことで、先生は中の人たちと分けて食べられたのです。先生は、一言一言に対して細かくお考えになることが分かると思います。

 判事の言行から見ても、先生は何の罪もなくて5年の刑を受けたのです。

 刑務所では、名前が呼ばれるのではなく、代わりに番号で呼ばれます。先生の番号は596番でした。これを韓国の発音で読みますと、オ・グ・リュクとなりますが、オグルハダ(억울하다、悔しい、濡れ衣を着せられるの意)と発音が似ています。先生は罪なくして牢屋に入られました。それに対して番号自体もオグルハダとなって、596になったのです。

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 次回は、「牢屋で最初の弟子を得る」をお届けします。


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