2022.01.29 12:00
心安らぐ清らかな音色~癒やしのオルゴール聖歌
第26回「苦難と生命(A)」
清らかな聖歌がオルゴール風にアレンジされました。
祈祷用、睡眠用、作業用BGMにはもちろん、心を落ち着かせたいときや疲れたとき、胎教にもぴったりなコンテンツです。
今回の曲目は、聖歌13番「苦難と生命(A)」です。
聖歌13番「苦難と生命(A)」は、劉孝元(ユ・ヒョウウォン)先生が作詞された曲です。
聖歌12番「我は行く」と同じ時に作られました。
故・劉孝元先生は初代の協会長であり、講師としての基準を立てられたかたです。
梨花女子大事件で真のお父様とともに投獄され、差し入れで読んでいた聖書の空白に、小さくなった鉛筆で、込み上げる心を書き込んだのがこの詩です。この時期の中傷と罵倒に対して、真のお父様は何一つ弁明されず、じっと耐え忍ばれました。
検察庁に移されるとき、真のお父様と劉孝元先生は一つの手錠に左右の手をつながれて、報道陣のカメラフラッシュにさらされ、引かれていったのです。
「すべてが明らかにされる裁きの日、その閃光があなた方自身の罪を証すだろう」と四節でうたわれています。
この苦難の日々の中で、劉孝元先生は「主が行くその道、死の場も我は行く」との固い決意を詩としたのです。
このように、聖歌13番「苦難と生命」は、真のお父様の歩みを語るときになくてはならない歌であり、当時を知る人々は胸を打ち、泣きつつ歌う歌です。
(参照:『聖歌のめぐみ』)
また、今回の背景画像は「スイレン」。清浄な魂を秘めた聖なる花として、古代から神聖視されてきた花です。
スイレンの花言葉で、今回注目したのは「信仰」。他にも「純粋」「清純」などがありますが、そのどれもが、泥沼から生えても、その泥に染まらずに清らかな花を咲かせることが由来です。
スイレンは、西洋ではキリスト教の仁義と愛のシンボルとされ、古代エジプトでは生命力や復活のシンボルとして扱われてきました。仏教でもスイレンは、菩薩の純粋な心を象徴しています。
今回、この「信仰」という花言葉をもつ「スイレン」を選んだ理由は、この曲の背景にあります。
一般的に「信仰」というと、“人生の苦しみから解放してくれるもの“というイメージが多いのではないでしょうか。そのため、試練が訪れると「信仰は無駄だった」「神はいない」と嘆く人もいます。
無実の罪で投獄された真のお父様と劉孝元先生。何の罪がないとしても、中傷・罵倒を浴びれば弁明したくなるものです。また、そのような悪意を向けられれば傷つき、心に影をつくってしまうのが多くの人間です。
しかし、手錠はお父様を挫折させる罠にはなりませんでした。これは解放の世界に向けて跳躍するための踏み台にすぎないと考え、争わず、じっと耐えたのです。
このような姿こそ真の信仰者であることは、誰も否定することができないでしょう。いかなる悪意に攻撃されても心の清らかさを保つさまは、泥沼の中でも染まらずに美しく咲く「スイレン」のようです。
画像素材:PIXTA