2022.01.26 17:00
中和新聞セレクト Vol.3
生活信仰のすすめ
毎週2回(火、金)、さまざまなコンテンツを配信している『中和新聞』。Blessed Life編集部が同記事のアーカイブスからおすすめのコンテンツをセレクトして皆さまに紹介します!
第3弾は「生活信仰のすすめ」(家庭カウンセラー:内田由喜氏)のシリーズを毎週水曜日(予定)にお届けします。
同コンテンツは『中和新聞』2020年4月から連載中のシリーズです。
第8回「十一条」について〈後〉
本シリーズでは、信仰の基本的な在り方や実践について考えます。日々の生活を通して神様を感じる生活が大切です。今回は、「『十一条』について」の後編です。(『祝福家庭』での連載を整理したものです。文責・編集部)
[Ⅱ]私たちが持つべき姿勢
十一条に対して私たちが持つべき姿勢について考えます。まず、全てのものを常に「神様と一緒に所有する」と考えることが大切です。「私の生命」も父母から生まれ、私の細胞も血液も父母から相続したものです。ですから、「私のものは一つもない」と考え、全てのことに対して感謝する生活が必要だと思います。
「私のものはあなたのものであり、あなたのものは国のものであり、国のものは世界のものであり、世界のものは神様のものであり、神様のものは私のもの…」(『牧会者の道』288頁)
これが、私たちの主流思想です。
祝福家庭が常に心掛けるべきことは、「原則に沿って万物を用いる」ことです。私たちが万物を正しく用いるとき、神様も喜ばれ、人間も喜び、万物も喜びます。しかし、原則を無視して、万物を自分かってに所有しようとすれば、万物は反発します。神様も悲しまれます。ですから、万物を自分の好みや好き嫌いで用いることに対して、常に注意しましょう。「訓読会」や「日曜礼拝」を守るのは当然のことなのですが、さらに万物に対する取り扱いなど、所有観念を超えることも重要な課題です。
真の父母様のみ言を紹介します。
「十分の一献金は、『私』が所有している物の中から十分の一を神様に捧げることにより、全体を捧げるという意味があります。……十分の一を捧げることにより、残りの十分の九も聖なる物として取り扱われるようになります。このように十分の一献金を捧げながら暮らす人は、絶対に滅びません。日がたてばたつほど、その人の『天の倉庫』があふれるようになっているのです」(天一国経典『天聖経』1193頁)
■天に対する感謝と公的な心情に立つ
十分の一献金を捧げるためには、本来の意味を理解することが大切です。以下にそのポイントをまとめてみました。
★私が堕落していない本然の神の子という位置に立つためには、私がサタンの主管下にあってはならない。神の所有となって解放された本然の清い万物を通して、私の体を再創造しなければならない。したがって、サタン主管下の私の万物を、神様の所有に返すことが必要。
★お金も、公的に、国のため、世界のために使えば、最終的に神様が万物を創造されたときの理想にかなうようになる。より公的に、より善なる目的のために、万物を捧げることで私自身が、より善なる方向、より公的に生きる道が開かれていくようになる。
★十分の一献金は、万物を愛する基準を立て、神様との心情的な絆を結ぶための仲介となる。
■「孝情」を育み、神様の喜びに生きる者に
祝福を受けることで神様の血統へと転換された私たちの最終目標は、本然の心情を復帰し、愛を完成していくことです。
私たちは今、「四大心情(愛)」を復帰していく人生を歩んでいます。その中で最も大切で基本となる愛は、神様と私が「親子である」ことから生じます。これが「孝情」の精神になります。
親なる神様を愛し、神様の願いに生きていく子女の生き方が、最高の喜びとなるのではないでしょうか。神様が今、最も願っておられることを常に尋ねつつ、神様の喜びに生きる私たちとなるべく、成長していきたいものです。
真の父母様のみ言です。
「皆さんが一つの万物をやり取りするとき、世界のものとしてやり取りしなければなりません。このような事実を皆さんの生活の中で、どれほど感じ、体得して暮らしていますか。
皆さんの中のある人は、『ああ! 私は統一教会を何十年信じたのに、教会を信じてこのようにかわいそうな立場になった』と考えていますが、それは間違った考えです。
皆さんは、誰のために与えるのですか。また、誰のためにもらうのですか。神様のために与えなければならず、神様のためにもらわなければなりません。神様のためにもらったので、神様のために与えなければならないのです。神様のために与えたのですから、自分のためにもらおうと考えてはいけません」(『後天時代の生活信仰』146頁)
■天の願いは「十三条」
最後に、天が願われる、「十分の三」を捧げることについて触れたいと思います。
「昔の旧約時代は、法に従っていこうとすれば十分の一条をしましたが、今から皆さんが真の父母に従っていこうとすれば、十分の三条をしなければなりません」(2006年7月1日、第16回「7・1節」記念礼拝でのみ言より。『ファミリー』2006年9月号、28頁)
天一国時代を迎えた今、私たちは一日も早く神様と共に、サタンの讒訴も残滓もない、神様の喜ばれる国をつくっていきたいと思います。
「十一条」の生活を習慣化して、次には「十三条」として、①「教会のため」、②「国のため」、その次に、③「世界のため」と、より本質的な次元で天の願いを果たしていくことができるよう、邁進してまいりましょう。
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次回は、「万物主管・『衣』について〈前〉」をお届けします。
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