コラム・週刊Blessed Life 15
「イスラエル」という国

新海 一朗(コラムニスト)

 「イスラエル」(1948年再建)という国の複雑さは、宗教的にも政治的にも経済的にも人種的にも語り尽くせない。

 聖書を読むと「ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしが造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」(イザヤ書 第4634節)と記されている。これほど神が直接的にその保護と救いを語った民族はない。

 宗教的には強力な一神教(偶像崇拝への敵意)、政治的にはエルサレム(シオンの丘)中心の神権政治への志向、経済的には金融による世界経済の支配、人種的にはスファラディー系(アジア・アフリカ系)とアシュケナジー系(ヨーロッパ系)の混合と葛藤。現代イスラエル国家を語ろうとすると、とにかく、一筋縄ではいかないが、上記の聖句に戻ると、神はどんなことがあってもイスラエルと共にあり、イスラエルを救うという絶対宣言である。

 そうすると無神論の中国、北朝鮮、ロシア(共産主義時代の残滓<ざんし>を引きずっている)などが、イスラエルに歯向かえば(イスラエルの逆鱗に触れれば=イスラエルを保護する米国に逆らえば)、神への敵対行為となって勝ち目はない(特にロシア)。

 そういう結論である。化学兵器使用のシリアへの米英仏による105発の今回のミサイル攻撃は、イスラエルを脅かすシリアに対してイスラエル絶対保護を闡明(せんめい)にした米国の怒りの攻撃であった。