(『祝福家庭』75号)
【第1祝福】「個性完成」

 いつでもどこでも、訓読生活!
 このシリーズでは季刊誌『祝福家庭』に掲載されている三大祝福完成に関するみ言を紹介します。

【第1祝福】
「孝子・孝女」に関するみ言(3)

 先生は、おなかがすき、疲れて倒れることがあっても、どのようにすれば神様が案じるその道を行くか、背負うことのできる十字架の道があれば、どのようにその道を行くかということを考えました。
 しかし、皆さんは、このような道を行こうという準備すらしていません。侍ることによって救われるということを知りながら、恥も外聞もなく眺めているだけです。そのような心でとどまっていてはいけません。
 私たちは、寝ても覚めても父のために、父の国のために進まなければなりません。千回、万回死ぬことがあっても、その恨(ハン)を解いてさしあげなければなりません。そのような勇気がある人であれば、自分の十字架を担い、神様の十字架を代わりに背負うことができなければなりません。そのため、今日、私たちは、父と神の国のために働かなければならず、父が呼び求める孝子、孝女にならなければなりません。私たちは、神様のために生まれた民なので、孝子、孝女、忠臣、烈女にならなければなりません。これが私たちの果たすべき使命です。


(天一国経典『天聖経』第11篇・第1章・第2節・22)


 真の父母がするのは、すべてのことに勝利して、神様の心の奥深いところまで訪ねていき、恨を解いてその勝利圏を地上に成し遂げることです。そのような真の父母が出現したことに、皆さんは、感謝しなければなりません。縦的真の父母である神様が、地上に再臨主を送って地上解放を成し遂げるまで、どれほど悲惨だったかを知らなければなりません。私たちは、今、偉大な時代を迎えました。なぜなら、真の父母を中心として孝子、孝女になることを誓えるからです。
(同 第11篇・第1章・第2節・31)


 孝子と孝女は、父母のために体と心を犠牲にしても、それを超えて父母を愛したいと思う人です。愛国者は、国家のために自らの一身を顧みずに犠牲となり、投入して忘れてしまう人です。十回投入して忘れてしまう人と、十一回投入して忘れてしまう人がいるとすれば、十一回投入して忘れてしまう人が主体になるのです。この原則に従って、すべてのものが平和に収拾されるのです。ために生きる道を抜いては、それを成し遂げる道はありません。
(同 第12篇・第3章・第5節・38)


 神様は、突然子女を失った父母になり、激しく追われ冷遇される立場で、一度として御自身のみ旨を思う存分繰り広げることができなかった方です。皆様は、このような神様の悲しい心情を推し量ることができる孝子、孝女にならなければなりません。真理を知って、その真理を実践しなければ、どうして指導者と言うことができるでしょうか。
(『平和経』301)