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栄華を極めたソロモン

(光言社『FAXニュース』通巻701号[2002年2月10日号]「シリーズ旧約聖書人物伝」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。

 イエス様が「野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイ62829節)と語られたソロモン王。ソロモンの名は「平和」の意で、イスラエル史で栄華を極め、平和であったのがソロモンの時代です。ソロモンは18万人もの職工を使って荘厳な神殿と王宮を造りました。

ダビデが罪を清算した基台の上で即位

 ソロモンは、ダビデ王の部下ウリヤの妻バテシバとの間に生まれますが、神様はソロモンが生まれると預言者ナタンを遣わして、ソロモンをエデデアと呼ばせました。エデデアとは「主の愛する者」の意で、ダビデの名「愛される者」に通じるものです。ダビデには多くの子がいますが、神様のこのみ言から分かるように、ソロモンこそが王統を継ぐべき者として予定されていたのです。

 ソロモンは若くして王に即位します。ある夜、神様が夢に現れ「何を与えようか、求めなさい」と語られます。若きソロモンは欲にとらわれず、善悪をわきまえる知恵を求めました。神はソロモンのその態度を喜ばれ、賢明な心を与えられました。「箴言」はその賢明なソロモンによって書き表された書として伝えられています。

 ところでダビデがバテシバと出会う以前に、すでに神は預言者ナタンの口を通してソロモンの出生を預言していました。それを「ダビデ契約」といいます。「わたしはあなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くする。彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう」(サムエル記下71213節)と。この預言の成就として登場したのがソロモンです。

 ダビデは戦争に明け暮れる生涯を過ごします。それはまるでサウル王の不信の罪のあおりを受け、その罪を清算しなければならない宿命にあったと言い得る路程でした。

 それに対しソロモンはその名の語根に「償う」という意味があるように、それは父ダビデの歩みによって罪が清算された基台の上で彼が登場したことを暗示するものです。実にダビデがバテシバと結ばれた背景には神の不思議な導きがあったと言えます。ノーベル賞受賞のラーゲルクヴィスト著『バラバ』以来の本格的聖書小説と謳(うた)われるドア著『ダビデ王とバトシェバ』(国書刊行会)は預言者ナタンとダビデの対話の中で「神ご自身が最初からバテシバをダビデに与えようとしていたのかもしれない」(351ページ)とまで述べています。

▲ソロモン王(ギュスターヴ・ドレ画)

純潔を守り、1人の妻と添い遂げるべき

 ソロモン王はダビデとは違って平和な時代を生き、栄華を極めました。小出正吾氏は「ソロモンの生涯には、父ダビデのような戦争物語はない。それはちょうどアブラハムの子イサクの一生のように平穏であった」と述べています。まさにダビデ王に対するソロモンとは、アブラハムが流浪の生涯を送ったのに対し、イサクが平和な定着時代を過ごしたのと同様だったと言えるでしょう。

 また、イサクがその生涯をリベカという1人の女性と添い遂げたように、本来ならばソロモンは父ダビデとは違って純潔を守り、その生涯を1人の妻とだけ過ごすべきだったと言えるでしょう。けれどもソロモンは多くの女性を愛し、多くの妾をもったのでした(列王紀上11113節)。このソロモンの行状は到底許されるものではなく、大きな罪となってしまったのです。

 『原理講論』は、ソロモンの犯した罪について次のように述べています。

 「サウル王を中心とする復帰摂理もダビデ王の40年を経て、ソロモン王の40年に至り、初めてその『信仰基台』が造成されて神殿を建設することができたのである。神殿建設の目的はソロモン王のときに成就されたのである。しかし、その後、ソロモン王は淫乱(いんらん)に溺(おぼ)れて、実体献祭(けんさい)のためのアベルの立場を離れたので、『実体基台』はつくることができなかったのである。統一王国時代に成就されるべきであった『メシヤのための基台』は造成されなかった」(474475ページ)と。

 ダビデ王の苦難の路程によって立てられた勝利の基台の上に召されたソロモンが、再堕落の道を歩んでしまったことを考えるとき、純潔を守り抜いていくことの重要性を思うものです。

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 次回は、「バアルと戦ったエリヤ」をお届けします。

画像素材:PIXTA