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神に背いたサウル王

(光言社『FAXニュース』通巻677号[2001年11月10日号]「シリーズ旧約聖書人物伝」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。

 サウルは、最後の士師サムエルから油注ぎを受け、イスラエル統一王国時代の最初の王となりました。しかし彼は神に選ばれながらも、神の命令に背き、やがて悪霊に侵害されて、悩まされる晩年を送ります。サウルの名はヘブライ語で「求める」という意味です。

神のみ言に背き悪霊に悩まされる

 『原理講論』はサウルについて次のように述べています。

 「統一王国時代において『信仰基台』を復帰する中心人物は国王サウルでした。国王は預言者を通じてくだされるみ言によって国家を治めなければなりません。預言者サムエルが、神の命を受けてサウルに油を注いで祝福することにより、彼は第一イスラエル選民の最初の王となりました。サウル王が、在位40年間を神のみ旨にかなうように立てたなら、『信仰基台』を立てることができたのです。ところがサウル王は、サムエルを通して与えられた神のみ言に逆らったため、第一次民族的カナン復帰に失敗したモーセのような立場に立ったのです。サウル王を中心とする復帰摂理も、ダビデ王の40年を経て、ソロモン王の40年に至り、初めてその『信仰基台』が造成され、神殿を建設することができたのです」(473から474ページ要約抜粋)と。

 イスラエルは長年にわたってペリシテ人の侵略に苦しんでいました。民たちは士師サムエルの息子たちが悪しき道を歩み、後継者となり得ないのを見ると、周辺諸国と同様に、われわれにも国王を立ててほしいと訴え出るようになります。そこでサムエルが神に尋ねると、神は民の要求を受け入れるべきこと、そしてベニヤミン族のキシの子サウルを王として立てるよう命じました。サウルは裕福な家系に生まれ、背も高く容姿端麗(たんれい)で、まさに神の愛を独占するかのような立場にいました。

 サウルが王に即位して最初に行った戦争はアンモン人ナハシに対するもので、彼は33万人もの軍隊を率いて見事な勝利を収め、イスラエルに揺るぎない王権を樹立します。次の戦争はペリシテ人との戦いで、サウルの息子ヨナタンがペリシテ人の守備兵を破ったことをきっかけに、イスラエル軍はギルガルに、ペリシテ軍はミクマシに結集し、戦闘態勢に入りました。その時サウル王はサムエルから「7日待ちなさい」と言われていたにもかかわらずサムエルの到着を待ちきれず、勝手に燔祭(はんさい)をささげてしまいました。この不従順の罪ゆえに、サウルはサムエルから「あなたの王朝は長く続かない」との宣告を受けます(サムエル記上1314節)。

▲ダビデをやりで殺そうとするサウル王(ギュスターヴ・ドレ画)

高慢の虜となり命運尽きる

 また、サウル王はアマレク人との戦いにおいても「アマレクを全滅せよ」との神のみ言に背き、アマレクの王アガグを許し、家畜などの良いものを分捕り品として残しました。神はこの罪によってサウルを王位から退けることを宣言されました(サムエル記上1523節)。

 ちょうど「象徴献祭」を失敗したアブラハムに荒い鳥が襲い掛かってきたように、これを境にしてサウルは悪霊に襲われるようになり、昼夜悩まされ始めます。

 そこで家来は王の気持ちを静めるため琴の名手であった少年ダビデを召し抱え、琴を弾かせます。ダビデが琴を弾くとサウルから悪霊は離れ、気が静まるのでした。

 少年ダビデはペリシテ軍の巨人ゴリアテを倒して名声を博すようになり、やがて彼は隊長に任命され、数々の勝利を収めて国民的英雄となっていきました。そのことでサウルは激しくダビデに嫉妬(しっと)し、やがて恨みの虜(とりこ)となってダビデを殺害しようと躍起になりますが、油を注がれ、神霊に満たされたダビデを殺すことは容易ならないことでした。悪霊に取りつかれたサウルの人生は完全に狂ったものとなったのです。

 やがてペリシテ人との戦いが激しくなり、サウル王の息子たちが戦死しました。自分も負傷し、戦局が思わしくないのを知ったサウルは、自害してしまいました(サムエル記上314節)。実に彼の命運は、神のみ言に背いた時、すでに尽き果てていたのです。

 高慢の虜となったサウル王の生涯を思う時、神の前に絶対的マイナスとなっておられる真の父母様の生涯の偉大さを痛感するものです。

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 次回は、「統一王国築いたダビデ」をお届けします。

画像素材:PIXTA