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「性解放理論」を超えて(13)
昇華

 人類は今、神とサタンの総力戦の中に生きています。
 「統一思想」すなわち「神主義」「頭翼思想」によって生きるのか、神の言(ことば)を否定する思想を選択するのか…。
 台頭する性解放理論を克服し、神の創造理想と真の家庭理想実現のための思想的覚醒を促す「『性解放理論』を超えて」を毎週月曜日(予定)にお届けします。

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大谷明史・著

(光言社・刊『「性解放理論」を超えて』より)

二 フロイトを超えて

(四)昇華

 フロイトは、人間の心を根底から揺り動かしているのはリビドーであると言います。ところがリビドーの宿るイドの衝動のままに生きる人間は野獣と変わりありません。そこでフロイトはイドの野蛮な力を「昇華」(sublimation)させなくてはならないと考えました。昇華とは、リビドーのエネルギーを必要な現実適応に向けさせることであり、イドの野蛮な力を新しい目的に転じてゆくことです。つまり、昇華とは、本能的欲求が、政治、芸術、学問、スポーツなどの直接的満足以外の目的に向け換えられる過程を言うのです。フロイトの言う昇華を図示すれば、下のようになります。

▲野蛮なイドの昇華

 ラッシェル・ベイカーは、昇華について、「すべての人間は自分の心のなかに荒れ狂っている強い衝動を操る力を発展させねばならないのだ。これこそ、おとなになるという意味であり、それは、われわれの内部にある野蛮な力を、役に立つ目的に昇華する能力である(※14)」と言います。

 フロイトは野蛮なイドの衝動を昇華させることにより、芸術、文学等の文化が生まれると考えました。すなわち、あらゆる芸術や文学は、満足を得なかったイドの衝動の昇華から生まれるとフロイトは信じていました。ところがエゴの力が弱くて、イドの力を昇華できなかったり、あるいは超エゴの力が強すぎる場合、リビドーの正常な発展に障害をもたらし、人は神経症になると言うのです。ラッシェル・ベイカーによれば、

 フロイトは、イドの本来の力、つまり、発散できない野蛮な願望や衝動があって、自我が弱すぎて、これを昇華できないようなとき、病気をおこすことを示した。彼はまた、超自我または良心の要求が強烈すぎて、われわれが、ときに、われわれ自身に対して残酷すぎる扱いをすることをも指摘した(※15)。

 フロイトは、野蛮なイドが表面化して直接、外に出ないように、芸術、学問、スポーツなどにそのエネルギーを振り向ければ、人間は人格的な存在となり、文化が生まれると考えていました。しかし、イド(リビドー)を昇華すれば、人は必ずしも人格的存在となるのではありません。芸術家、芸能人、スポーツ選手に不倫が蔓延(まんえん)している現実が、それを証明しています。「統一思想」から見るとき、人間は、真(まこと)の愛を中心として、生心と肉心が主体と対象の関係で円満な授受作用を行うとき、肉心すなわち本能的な心は生心に自然に従うようになります。そのとき、性は悪しき衝動ではなくて、聖なるものとなります。真の愛は、自己中心的な、自分の欲望を満たそうとする愛ではなくて、与える愛、ために生きる愛だからです。相手をいたわり、人格を尊重し、相手の喜びが、自分の喜びとなるような愛です。そのような真の愛に肉心(性)は自然に従うのです。

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※14 ラッシェル・ベイカー『フロイト・その思想と生涯』(198)
※15 同上、(214)

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 次回は、「愛と性」をお届けします。


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