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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(30)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
二、いつも弟子に関心をもたれる先生

▲金元弼先生

相手の立場に立つ

 み言を語ることは大事です。けれども、み言を受けた人が消化できないで、どうしたらいいのかという第二の問題を抱えて訪ねてきたときに、いかによくテイク・ケア(牧会)するかということが、最も大事であることを忘れてはいけないと思います。ですから、み言を語ることよりも、いかに導いてあげたらいいのかを考え、その時間を最も長くもつのです。

 皆さんも、よく経験されていることと思いますけれども、メンバーの一人が問題を抱えてリーダーのところへ来てお話しすると、その人の悩みや問題がリーダーに移ることがあります。その意味が分かりますか。相談に来た人が、怖い怖い心をもって、怖くてたまらなくて、「どうしたらいいのか」と話してきますと、その話を受け入れた人も、怖くなってしまうのです。リーダーがその怖さ以上の強い心をもっていれば解決できるのですが、それ以上のものをもっていない時には、リーダーも怖くなって震えるようになってしまうのです。

 「統一原理」が真理か否かという問題に悩んだとしましょう。皆さんは、み言を聞いて、「統一原理」を聞いて人に伝えます。ところが、反対されて答えることができなかったら、ガタンと悩んでしまいます。「ウン、ウン」言って悩んでしまうのです。悩むということは、結局、反対する相手の考え方に同意したということと同じ意味になります。ですから、伝道した本人も悩むようになるのです。「あの人の言うことは非常に良さそうだ、正しいのかもしれない」と、こう考えるとリーダーに、そのことをなかなか言えないことがあるのです。それで非常に悩むのです。

 しかし、そのメンバーにこの道が絶対に正しいという信念があるならば、リーダーにすぐこの問題を打ち明けます。そうでないときには、打ち明けることもできないで、「あの人の話は正しいのではないか、この教会の話が誤っているのではないか」、こういうふうに一人で悩んでいるのです。打ち明けてきた時に、リーダー自身がそれに対して答えることができないと、リーダー自身の心情も落ちていくのです。皆さんは、そうではないのですか。

 ですからメンバーが訪ねてきて、「質問があります」と言う時は、皆さんにとって一番怖い時なのです。私が分からない問題をもってきたらどうしようかなあと、心配でたまらなくなります。そのような質問を受けて答えられない時には、血気にはやったりしないで、皆さんは信じていくことです。相談してきた人に向かって、「その人は間違っているのだよ」というようなかたちで詳しく理解させようとしないで、「それでも信じていくんだよ。その人は誤っているのです」と言えば、自分で問題を解決するようになるのです。

 そうすると、メンバーはなかなかそれが理解できないので、非常に悩みます。自分のリーダーが言うのだから、まあ信じていこうと思っても、いつもいつも心の中では、それに対する悩みが去らないのです。真理の問題、み言の問題であれば別に問題はないとしても、情の問題については、非常に難しい点があります。

 家を離れなければならない、教会活動に専心したい、そういう中にあってどうしたらいいのか悩んでいるメンバーに対して、どのように指導をしていくのかという問題は、もっと難しい問題です。

 先生は、朝早くから夜遅くまで、訪ねてきては泣きながら、どうしたらいいのか分からずに悩んでいる人に対して、適確に、親切に、一つ一つを指導してあげることによって、その難しい迫害を勝ち抜くことができるように指導されました。

 メンバーたちがそういう問題を抱えて先生を訪ねる時に、私たちが感ずるのと同じように、先生もそういう苦しみをたくさん感じられたのでした。同じ立場に立ってこそ、牧会する出発点ができます。第一に、同じ立場に立つことです。同じ事情、同じ心情に立つことです。事情が違っているのに、どのようにしてその人を牧会できるのでしょうか。それは不可能です。

 学生を牧会するためには、学生の立場に立たなければなりません。男性が女性を牧会するためには、男性が女性の立場に立ってみなければ分かりません。老人を牧会するためには、皆さんが老人の立場に立っていなければなりません。ところが、男性は女性になることはできないし、若い人が老人になることもできません。学生でない人が学生になることもできません。どうしたらいいのでしょうか。

 牧会するためには、同じ立場に立たなければいけないと言いました。どうしたらいいのですか。

 オールド・ピープル(老人)がいるとします。その人が今、牧会を願っているとしましょう。そうした場合は、自分が分かっている世界で話そうとすると、非常に難しいものです。もちろん、牧会の基準は「統一原理」になるのです。「統一原理」が牧会の一番の基準になります。しかしながら、その人の事情、その人のいろいろな状態を適確に指導するためには、「統一原理」をいくら知っていても、十分ではありません。まず、その人の立場に立つことです。ですから、同じ立場に立つということが原理です。「統一原理」の教えでもあるのです。

 同じ立場に立つためには、どうしたらいいのでしょうか。その老人を牧会するためには、その老人の立場に立たなければいけません。老人の言うことを全部聞き取ることによって、自分がその老人の立場に立てるのです。その次に皆さんは、「統一原理」を中心にしてどのように話してあげようか、どのように解決してあげようかと努めることが必要です。

 ところが、私たちは、なかなかそうはしません。その人の話を聞かないで、どうしてその人の事情が分かって牧会することができるでしょうか。それはできません。しかしながら、人の話を聞かなくてもできる道が一つあります。それは霊感を受けてやることです。その人が来ると、「この人はこういう問題点があるのだ」ということを知らされて、話せるのです。そしてお祈りすると、自分の霊感を通じて、その人の事情が分かるのです。

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 次回は、「先生の関心はいつも弟子に」をお届けします。


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