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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(29

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
二、いつも弟子に関心をもたれる先生

▲金元弼先生

必要なものは霊界が援助する

 最初のころ、今日の教会とは違って、献金という制度がありませんでした。日曜日に献金するということで、献金箱を回すことはありませんでした。もともと神に捧げるお金というものは、人に言われてではなく、自分の心から進んで献金するというのが、神の喜ばれる献金です。

 私がある集会に出てみたら、献金箱を回している光景を見ました。すると、献金を準備していなかったらしい人がいて、1ポンド札を出して、献金箱からいくらか分からないけれども、おつりを取ってポケットの中に入れるのを見ました。

 献金する時には、神に捧げる気持ちでするのですから、お札でもそろえて、5枚だったら5枚とも、きれいに折って出すのです。そして同じお金の中でも、自分が全然使っていない新しいものを捧げたいと思いますか、それとも使ったものを捧げたいと思いますか。

 物というのは、自分の心の表れといえます。つまり心を捧げるということです。私たちが神の前に出るのに、体を清くし、あるいは着物を新しくするのも、全部理由があるのです。ですから礼拝に立つ時には、必ず礼拝に立つための着物を区別しなければいけないのです。ミサをあげる時には、ミサに必要な着物を着ます。では、着物がない時には、どうしたらいいでしょうか。それ1着しかなくて、そのままで神の前に出る時には、それを新しいものとしてお祈りしたらいいのです。

 結局、神の前に出る時の、私の心がどういうものでなければならないかという、心情の世界が問題になるのです。形状は性相の表れですから、そういう心情をもつとするならば、体も外的なものも、そのように表れるのです。

 当時、先生は、貧しい中にあっても、人が集まってくると、いろいろなものを与えたり、あるいは食べ物を用意してあげたり、もてなしてあげました。けれど、先生がたくさんの物を多くの人にあげようとしても、あげるものがありません。

 そういう時にあって、霊界はお金のある人に「お前のお金を先生のところに持っていってあげなさい」と教えるのです。そういうことが起こります。イギリスのある女の人は、300ポンドくらい持っていました。それが、彼女の持っているお金の全部でした。次の日に、先生のところへ行く時、その300ポンド全部を持っていくと、彼女には何もなくなるので、50ポンドだけを残して250ポンドを持っていきました。ところが、礼拝が終わってそれを差し上げようとしたところ、一緒にいた霊能者が、何も言わないのに、啓示を受けたその人に対して、「あなた、300ポンドもっているんでしょう」と言いました。それで、彼女は深く悔い改めて、神が啓示したとおりにしました。そういう雰囲気があったので、常に自分を分別する生活をしなければなりませんでした。

 ある時には、1人のおばあさんがずっとお金をためていて、自分だけが分かっているお金を、誰も知らないたんすの中に深く入れておきました。神はその人に、これを全部教会に献金するように啓示されました。ところがその人は、なかなか決心ができないで、3日ほどたつうちに家にどろぼうが入って、全部盗まれてしまいました。

 こういう話は、お金が必要なのに、ないという時には、必ず天が助けて、必要な物を霊界が援助してきたということを言っているのです。統一教会は、そのように支えられていました。

 ですから皆さんも、あるセンターのリーダーの立場で、何かあげたいけれども、ないという時は、いろいろな霊界の助けによって道が開かれるということを確信してほしいと思います。本当にあげたいという心が先に立たない限りは、そういうことは起こらないでしょう。自分の食べ物までも人にあげようとする心があるとするならば、霊界が助けるのです。ですからお金がなくても、先生のそういった心情の基台のもとに、天の助けによって統一教会の経済の問題は支えられてきたということです。

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 次回は、「相手の立場に立つ」をお届けします。


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