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ヨシュアに忠誠誓う内的イスラエル

(光言社『FAXニュース』通巻655号[2001年8月10日号]「シリーズ旧約聖書人物伝」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。

 モーセが民の不信の罪を背負い、約束の地カナンを目前にして倒れた後、イスラエル選民をカナンへ導いた指導者がヨシュアです。ヨシュアの名は「ヤハウェは救い」という意味で、そのギリシャ音訳がイエスです。

モーセの使命はヨシュアに託される

 ヨシュアは若者としてエジプトを出て以来、荒野40年路程を通じて常にモーセに忠誠を尽くしました。彼はモーセの命令に従ってレピデムでアマレクと戦ってこれを撃ち破り(出エジプト記1710節)、モーセのそばにいて幕屋を守りました(同3311節)。

 またモーセがカナン偵察のため12人を派遣した時ヨシュアはその1人として加わりました。彼らは40日間にわたってカナンを偵察しますが、ヨシュアとカレブを除く10人は「その地に住む民は強く、攻めのぼることはできない。民は背が高く、自分がいなごのように思われた」と不信仰な報告をします。その報告を聞いて民は泣き叫び「エジプトに帰ろう」と騒ぎました。ヨシュアとカレブは「カナンは非常に良い地だ。彼らを守る者は取り除かれるだろう。神が私たちと共におられるので恐れることはない」と信仰に燃え、カナンへ行くことを強く勧めますが、しかし民たちはヨシュアとカレブに対し、石をもって撃ち殺そうとしたのです。

 その時神が現われ「いつまで私を侮るのか。あなたがたの子供は私が導いてカナンへ入る。しかしあなたがたは死体となって荒野に倒れる。かの地を探った40日の日数に従い、1日を1年として40年間自分の罪を負う」と語られました。結局、イスラエル選民は不信の罪を幾度も繰り返したため、21日や21カ月でカナンへ入る路程ではなく、40年荒野を流浪するという長期間の路程へと延長されてしまったのです。

 長い荒野生活の中で、ヨシュアはモーセの指導の下に信仰を深め、立派な後継者となっていきました。やがて神はモーセに「神の霊のやどっている…ヨシュアを選び、あなたの手をその上におき…彼にあなたの権威を分け与え、イスラエルの人々の全会衆を彼に従わせなさい」(民数記2718節)と語りました。モーセのやり残した大事業は神の霊に満ちたヨシュアへと託されたのです。

▲エリコ城に入城するイスラエル人(ギュスターヴ・ドレ画)

出エジプト二世のエリコ入城

 さて40年が過ぎ、エジプトを出た世代の外的イスラエルは、ヨシュアとカレブを除いて死に絶え、モーセも死にました。そして荒野で生まれた二世(内的イスラエル)はヨシュアを中心に結束し、立ち上がります。

 ときに神はヨシュアに「私はモーセと共にいたようにあなたと共にいる。強く、雄々しくあれ」と激励され、内的イスラエルもまた「われわれはあなたに聞き従います。あなたの命じられる言葉に聞き従わない者があれば、生かしてはおきません。強く、雄々しくあってください」とヨシュアに対して命懸けの忠誠を誓います。

 いよいよカナンへ入る日が近づきました。ヨシュアは最初の町エリコを偵察しようと2人の斥候(せっこう)を出しました。彼らは遊女ラハブの機知に富んだ援護を受けて無事偵察を終え、「住民はわれわれの前に震えおののいています」と信仰ある報告をしたのです。

 3日の後、内的イスラエルは契約の箱を先頭にヨルダン川に至ると、紅海が割れた時と同じようにヨルダンの流れが分かれ、彼らは川を陸地のように渡りました。

 そして神様が命じられたとおり、内的イスラエルはエリコ城を1日に1度ずつ6日間回り、7日目には7度回ってラッパを吹き、民が一斉に大声で呼ばわると、たちまちエリコの城壁は崩れ落ち、ヨシュアたちは破竹の勢いをもって進軍し、見事な勝利を収め、カナン定着への第一歩を着実に踏み出していったのです。

 『原理講論』には「モーセがその責任を全うすることができなかったときには、彼の代理としてヨシュアを立ててまでも…必ず成就されたのである。…神が立てられたアベル的な人物が、その使命を全うすることができないときには、カインの立場で忠誠を尽くした人が、彼を代理してアベルの使命を継承し完成するようになる」(401ページ)と記されています。

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 次回は、「ギデオンと精兵300人」をお届けします。

画像素材:PIXTA