2021.11.28 17:00
モーセが率いる出エジプト
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
旧約聖書中、最大の偉人はモーセでしょう。モーセとはヘブル語で「引き出す」という意味で、その名の示すとおり、彼は奴隷となって苦しむ同胞イスラエル民族を解放するために壮丁(そうてい)60万を率いて出エジプトをさせ、カナンの地へと導いた偉大な指導者です。
パロの王宮を逃れミデアンで40年
さてヤコブ一族がエジプトに移り住んで約400年がたち、子孫も国中に増え、やがてエジプトを救ったヨセフを知らないパロが王となりました。王はイスラエル民族が強大になるのを恐れ、彼らを奴隷にして苦しめるようになります。やがて王は「男の子が生まれたら殺せ」と命令を出します。モーセはそのころ生まれました。
父アムラムと母ヨケベデは赤ん坊が殺されないよう必死に隠しましたが、隠しきれなくなって葦(あし)の籠(かご)にアスファルトと樹脂を塗って小舟をつくり、そこにその子を入れナイル川の岸辺に置きました。そのときパロの娘が水浴びに来て小舟の中の男の子を見つけます。彼女はかわいそうに思い、その子を自分の子として育てることにしました。男の子は水から引き出されたことからモーセと名付けられ、パロの王宮で育てられることになったのです。モーセは王宮でエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、言葉にも技にも力がありました。
さて、モーセが40歳になった時です。彼は同胞が厳しい労役に苦しむ姿を見ました。ある日、同胞の1人が虐待されるのを見て、彼はその人を救おうとエジプト人を殺してしまいます。それをイスラエル人が言いふらしたためパロにもその事件が知れ、ついにモーセは王宮から逃亡するはめになりました。彼は、自分の手によって神がイスラエルを救ってくださることを、同胞が悟ると思っていましたが、彼らは悟らなかったのです。
自らの使命を思い耐えて時を待つ
モーセは遠く離れたミデヤンの地に逃れ、羊飼いとなりました。彼は燃えるような同胞愛を抱き続けながら、その地で40年間精誠を尽くして生活しました。
モーセが80歳の時です。シナイ山に来ると、燃えるしばの中から神様の声が聞こえました。「モーセよ、イスラエルの苦しみ叫ぶ声を聞いた。あなたをパロに遣わしイスラエルをカナンの地へ導き出そう」。モーセは同胞を救うために覚悟を決め、命懸けで神様の声に従います。モーセは兄アロンと共にパロの所へ行ってイスラエル民族をエジプトから去らせるよう要求しました。
しかしパロは要求に全く応じようとしません。災いが次々と起こっても心をかたくなにします。やがてエジプト中の初子(ういご)が死ぬ災いが起こり、パロの長子も死に、ついにパロは屈して要求に応じました。
いよいよ出エジプトです。イスラエル選民はモーセと共にカナンへと向かいました。しかしパロは心を変え、イスラエル選民を殺そうと軍隊を率いて追ってきました。逃げ場を失った民は騒然としますが、モーセが紅海に向かって杖(つえ)を揚げると海が割れ、イスラエルは急いで海を渡りました。追いついたパロの軍隊が渡る途中、海の水は元に戻りパロたちは全滅したのです。このように神は大いなる奇跡をもってイスラエルを導かれました。
エジプトを出て50日目、モーセはシナイ山に到着します。そこで神様から「十戒」を授けられました。歴史上、初めて旧約のみ言が復帰された瞬間です。モーセは40日断食をして神の前に精誠を尽くします。ところが民たちは金の子牛を偶像にして不信の罪を犯していたのです。
神は民が飢え渇けば岩から水を出し、マナを降らせ、奇跡と愛をもって導かれましたが、民は恵みがあれば感謝しても、試練がくればすぐに不平を言い、そのたびに不信の罪を犯し続けました。ついにモーセは民の不信の罪を背負って、カナンを目前に荒野にたおれたのでした。
真のお父様はモーセについて次のように語っています。
「モーセの生活は極めて質素であり忍耐強いものでありました。毎日、彼は神様の目的に新しくなり、来たるべき使命を心待ちにしつつ、彼の同胞をエジプトから連れ出すため神様の導きを待っていたのでした」(1973.10.21)と。
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次回は、「ヨシュアに忠誠誓う内的イスラエル」をお届けします。
画像素材:PIXTA