2021.11.28 22:00
統一原理Q&A 13
ノア家庭の摂理の失敗について
アプリで読む光言社書籍シリーズ、「統一原理Q&A」を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。
統一原理に対する著者の分かりやすい解説がコンパクトにまとめられています。統一原理への理解を深めるために、ぜひ読んでいただきたいシリーズです。
白井康友・著
Q:ノア家庭の摂理において、ハムは自分の父のノアが天幕の中で裸になって寝ているのを発見して、裸を恥ずかしく思いましたが、そのことがどうしてハムの罪となり失敗となるのでしょうか、詳しく説明してください。
A:ノア家庭は、アダム家庭の失敗を蕩減復帰するために立てられた家庭ですから、アダム家庭の内容から考えてみましょう。
アダムとエバの関係は「ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった」(創世記二・二五)と聖書にあるごとく、お互いに親しい間柄であり、神に対しても隠し立て一つしない、親子水入らずの関係にありました。しかし、彼らが堕落したのちには自ら下部を恥ずかしく思って木の葉で腰を覆い、また、神に見られるのを恐れて木の陰に身を隠してしまいました。
それゆえ、ノア家庭の使命は、ノアが裸で寝ていても、その家族たちがそれを見ても恥ずかしがらず、また隠れようともしない姿を通して、かつてアダムとエバが罪を犯す前にどこを覆い隠すでもなく、ありのままに裸体をあらわしていた汚れの無い人間の姿を神が御覧になり、喜びを満喫されたその心情を蕩減復帰するところにありました。
しかしハムはノアの裸を見て恥ずかしく思ったばかりでなく、良くないことと考え、彼の兄弟セムとヤペテとが恥ずかしい気持ちに陥るように煽動してしまいました(創世記九・二二、二三)。
ここで大切なことは、恥ずかしさそのものを問題にするのではなく、どのような立場で恥ずかしく思ったかという点です。この場の状況は神が摂理されたものであり、当然ながら神は恥ずかしく思っておられません。ではいったい、ハムの恥ずかしいと思う感性はどこから来ているのでしょうか。それはまさしくアダムとエバが、サタンと血縁関係を結んでしまった時の恥ずかしいという情念に通ずる情的内容があるため、ハムは堕落後のアダム、すなわちサタンの血統的子孫であることを自証した立場に陥り、サタンの侵入条件(罪)を成立させてしまったのです。
このことから、喜怒哀楽の情を自分勝手に扱ってはならないという教訓が与えられます。神が喜ぶことを喜び、神が悲しむことを悲しむという、絶えず情を神と共に発露していくことが重要なポイントです。
さらに別の教訓として、ハムはノアが今まで絶対的に神に主管されていた人だということを十分知っていたのですから、ノアの裸を見た時に、神はその姿をどのように考えておられるかを、まず祈り求めて尋ねていくような、謙虚な姿勢が必要でした。また、ノアの裸は信じ難い状況でしたが、信じられないものを信じていくのが蕩減の道ですから、素直に従順に信じて見る信仰姿勢が大切であり、文先生も「死んでも信じ、死んで滅びるとしても、信じて滅びよう」(「御旨の道」382頁)と語っておられます。その上に、神から示される時を忍耐して待つ心があれば、私たちはハムのような過ちを二度と犯すことはないのです。
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次回は、「サライに対する神の主管について」をお届けします。