2021.12.05 22:00
統一原理Q&A 14
サライに対する神の主管について
アプリで読む光言社書籍シリーズ、「統一原理Q&A」を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。
統一原理に対する著者の分かりやすい解説がコンパクトにまとめられています。統一原理への理解を深めるために、ぜひ読んでいただきたいシリーズです。
白井康友・著
Q:アブラハム家庭の摂理において、パロ王がサライを今正に犯そうとした時、神が激しい疫病をパロ王の家に下されたので、サライは救われたと聖書に書かれてありますが、これは神の人間に対する直接主管(干渉)であり、創造原理に反するのではないでしょうか。このことについて詳しく説明してください。
A:まずアブラハム家庭は、ノア家庭とともにアダム家庭を蕩減復帰すべき立場に立っています。そこでアダム家庭の内容を振り返ってみると、アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいた時、天使長がエバを奪ったので、その子女たちと万物世界のすべてがサタン主管下に置かれるようになりました。そのため、アブラハムはこの内容を蕩減復帰しなければならず、そこで兄妹のような立場から、妻サライを一旦サタンの実体であるパロ王に奪わせたのち、彼の妻の立場から再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返す摂理を担当していきました(図参照)。
さて、今正にサライがパロ王に犯されそうになった時、「サライのゆえに」(創世記一一・一七)神が激しい疫病を下されたので、アブラハムは摂理を勝利することができました。
このことを掘り下げて考えてみましょう。サライがもし普通の女性であったなら、夫から「自分が殺されそうなのでお前が犠牲になってほしい」と言われた時に、夫に失望し不平を言う可能性がありました。しかし実際には、サライは自分がたとえ犠牲になっても、夫のアブラハムだけは神の目的のために生かさなくてはならないというほどに、アブラハムを心から愛し信じており、その夫の背後にあって常に導いておられる神を信じていたので、神にすべてを委ねることができたのです。サライは夫が言うのも神の命令であるととらえていたので、不平はなく、平安な気持ちであったに違いありません。「サライのゆえに」とは「サライの信仰ゆえに」ということであり、神の直接主管ではなく、サライの信仰の結果を条件として取られた結果的主管であって、創造原理には反しないのです。エバは天使長に主管され不信仰ゆえに堕落してしまいましたが、サライは神に主管され、信仰的条件をもって救われていきました。
このエバの立場(サライ)の勝利なくしては、神側の中心人物(アブラハム)はサタンに勝利し、神に祝福される基盤をつくることができず、そして、このことは、歴史上偉大な人物の背景には、妻や母等の偉大な女性の信仰があるといわれるゆえんであり、正にサライの場合が女性の信仰の重要さを示す典型的な実例ということができます。
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次回は、「イサク献祭の成功の理由」をお届けします。