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統一原理Q&A 10
イエスの十字架による霊的新生(重生)について

 アプリで読む光言社書籍シリーズ、「統一原理Q&A」を毎週日曜日配信(予定)でお届けしています。
 統一原理に対する著者の分かりやすい解説がコンパクトにまとめられています。統一原理への理解を深めるために、ぜひ読んでいただきたいシリーズです。

白井康友・著

(光言社・刊『統一原理Q&A み言による神の心情の再発見』より)

Q:霊的救いとはイエスの十字架の摂理以降、どのような過程を経て開かれた救いなのでしょうか。また、霊的救いとは霊的新生(重生)のことを意味していると聞きましたが、イエスと聖霊により、どのようにして信徒を霊的に新生させていくのでしょうか、説明してください。


A:イエスは、十字架上でサタンに勝利することにより、復活の勝利的基台を立てられましたが、復活期間としてなぜ四十日間だけ弟子たちの前に姿を現され、その後昇天されてしまったのか、その理由を知る人は今日に至るまで一人もいませんでした。

 復帰摂理の観点から解明すると、正にこの期間は「四十日サタン分立期間」として、イエスが霊的な「信仰基台」を復帰された期間なのです(「イエスの復活」の項目でも説明したように、弟子たちの前に現れたイエスは肉体の復活された姿ではなく、霊眼の開けた弟子たちが霊人体としてのイエスを見ることができたのでした)。

 さて、次は霊的な「実体基台」を立てる必要があったわけですが、その最も中心的内容が十二数の弟子たちの基台でした。ヤコブに十二子息があり、モーセに十二部族があったごとく、イエスがメシヤとして立つための根本的な中心的基台が十二弟子でした。

 しかし、現実においてはユダが裏切り、その基台が崩れてしまったので、使徒行伝一章二六節にあるごとく、弟子たちはユダの代わりにマッテヤを選んで十二弟子の数を整え、彼らが命を懸けてイエスを信奉することにより、霊的な「実体基台」を造成することができ、それによって「メシヤのための霊的な基台」を復帰することができました。

 そこでイエスはこの基台の上で、霊的洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的な真の父の立場に立つことができ、霊的な真の母としての聖霊を復帰することができる立場に立ちました。イエスは、ヨハネによる福音書一六章七節から一四節で「聖霊時代が来る」と預言しておられましたが、地における実際的な聖霊の働きは、イエスが霊的真の父としての勝利をされた後の五旬節において、聖霊が降臨されて、奇跡的な現象を起こした時より開始されました。

 ちなみに、五旬節とはイスラエル民族の刈り入れの祭りのことであり、過越の祭りののち第五十日目に行われますが、それはちょうどイエスの復活後五十日目に相当したので、五旬節(ペンテコステ)聖霊降臨祭とも呼ばれています。

 さて、メシヤとは真の父母を意味しています。ところが、イエスは洗礼ヨハネ使命者のまま十字架につけられてしまったので、生前には一度もメシヤの立場に立つことができませんでした。

 前述したように、イエスは霊的な「実体基台」を立てられ、聖霊を復帰したのちに初めて霊的メシヤとして、霊的真の父母の立場に立つことができ、霊的救いの摂理を出発することができるようになったのです。

 救いとは、表現を変えるならば生み変えること、すなわち新生の摂理をされることであり、サタンの血統圏より神の血統圏へと血統転換させることに他なりません。それゆえ、霊的救いとは霊的新生のみ業を意味しているので、これから霊的新生がどのようなプロセスを経て成されてゆくのか、文先生のみ言に沿って考えていきたいと思います(図参照)。


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 まず第一段階として、信徒たちは洗礼を受ける時などによく聖霊体験をしますが、聖霊は女性神として慰労と感動、罪の悔い改めの業を成します。特に「聖霊の感動を受けるとイエスが非常に恋しくてたまらない。聖霊はそういう感動の役目をする」(「血統的転換」19701013)と文先生が語られているように、心からイエスを慕うようになるのですが、それはイエスと心情的に一体となりたい気持ちです。「自分はイエスと一体である。イエスが恋しくなると自分も恋しくなる」(前掲の御言)境地を味わいますが、それこそ信徒たちが「イエスの体中の子女」「イエスの骨肉にある子供の源」(前掲の御言)と表現される立場に立つことです。聖霊は女性神として、そこまで導く作用をすることが分かります。

 さて、霊的新生とは新しい生命を受けることですが、あくまでも生命が出発点ではなく「生命がある前に愛がある。父母の愛によって生まれてくる」(前掲の御言)ものですから、次の段階として信徒たちは、霊的真の父であるイエスと霊的真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的真の父母の愛を受けるようになります。「それからイエスと聖霊とが慕い合う愛の道をたどっていかなければ生まれてこない。父母の愛の道を通過しなければ生まれてこない。そうするには女性が男性を慕い、男性が女性を慕い合う、それで一致なる愛の境地を通過しなければ再び生まれてこない」(前掲の御言)。

 その霊的真の父母の愛を基盤として、神から新たな生命が信徒たちに注入され、全く新しい霊的自我に目覚めますが、この内容こそが霊的新生と呼ばれるものです。

 霊的新生を受けた信徒たちは、イエスの勝利された霊的サタン不可侵圏の恵沢圏内にあり、その感動と喜びは、彼らに幾多の迫害や殉教の道をも越えさせる力を与えてきました。正にそのことゆえに、彼らはイエスによる救いを実感してきたのです。

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 次回は、「三位一体論について」をお届けします。