2021.10.24 17:00
イサクとリベカ
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
神の命令に従い、父アブラハムがモリヤの山でイサクを燔祭(はんさい)としてささげようとした時、イサクは少しも騒がず、従順にその身を父に委ねました。イサクは父を信頼し、その背後で働かれる神様に絶対服従したのです。父と一体化したイサクによって、アブラハムの象徴献祭の失敗が蕩減復帰されたのでした。もしこの時イサクが反抗していたなら、復帰摂理は大変なことになっていたでしょう。
神と父の意に従い結婚
イサクは従順、柔和に生涯を過ごしました。彼は、父アブラハムが故郷ウル(南メソポタミア)からエジプト、ヤコブがハラン(北メソポタミア)からエジプトまでの広範囲を移住したのと違って、生涯をネゲブ(南イスラエル)を中心に直径180キロの円の範囲内で生活し、その北端は父に連れられて行ったモリヤ(エルサレム)でした。まさしくイサクは、父の勝利圏の相続および定着時代を象徴した人物であったと言えるでしょう。
さてアブラハムはイサクの嫁探しのため、弟ナホルの住むハランへ忠僕エリエゼルを遣わします。僕(しもべ)は井戸の前まで来ると、「『水を飲ませてください』と言い、娘が『お飲みください。らくだにも飲ませましょう』と言ったなら、その者こそ神が準備しておられた娘ということにしてください」と祈りました。すると祈りはきかれ、ナホルの孫、美しいリベカが井戸へやって来ました。
彼女はくんだ水をエリエゼルとらくだに飲ませたのです。喉の渇いたらくだ10頭が飲む水の量を考えると、大変な労力です。それを嫌がらずに喜んで飲ませたリベカは、奉仕精神にあふれた女性でした。
エリエゼルが、主人アブラハムの命令で「嫁探し」に来たことおよび神様に祈った内容を伝えると、リベカと家族はそれを承諾しました。エリエゼルは神様に感謝し、翌朝花嫁を連れて帰ろうとします。するとリベカの母はさすがに驚き、せめて10日ほど一緒に居させてほしいと願いましたが、しかしリベカは神の願いに従ってすぐ旅立つことにしたのです。親元を遠く離れ、まだ会ったことのない男性の元へ嫁ぐのは、若い娘にとって大変勇気のいることだったでしょう。にもかかわらず、すぐに従ったリベカもまた信仰深い女性でした。
エリエゼルがリベカを連れて帰ると、イサクは神様と父の意向に従ってリベカを妻として迎えました。神様は、信仰深くかつ従順であったイサクとリベカを祝福して、大いに栄えさせました。
劇的な人生より伝統守る従順さ
さて飢饉(ききん)の際、イサクはペリシテ人の地ゲラルへ移住しました。彼はそこで多くの収穫を得、家畜もどんどん殖えました。あまりの繁栄ぶりにペリシテ人はイサクをねたみ、父アブラハムの掘った井戸を埋め、この地から出ていくよう言いました。イサクは財に執着せず、争うことなくゲラルの谷へ移住します。そこでもイサクは良い井戸を掘り当てます。すると羊飼いが来て「この水は我々のものだ」と言い掛かりをつけました。彼はそこでも争わずに井戸を渡し、別の井戸を掘りました。
彼は不平を言わずに井戸掘りを何度も繰り返したのです。やがてペリシテ人の王は、イサクが神様と共にいることを悟り、和睦の誓いをしようとやって来ました。
イサクは喜んで迎え、祝宴を設けました。怨讐を愛したイサクは、まさに戦わずして勝利を収めたのです。
ユダヤ教のラビ、トケイヤー氏はイサクを次のように評しています。「イサクの人生は、劇的なものではなかった。…偉大な父親を持つ息子というものは、非常に難しいことを示している。ところが、イサクは非常に重要なことを一つだけ行なった。彼の父の伝統を守り、受け継ぎ、維持し、そして子供たちに与えた。彼は優秀な伝播(でんぱ)者だった。つまり、伝統に生命の灯をともし続けた。…アブラハムのような天才には、誰もがなることはできない。しかし、イサクのような伝播者になることは可能である」と。
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次回は、「ヤコブ、エサウから長子権復帰」をお届けします。
画像素材:PIXTA