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心情開拓
心霊を育てる生活原則(22)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

1 牧会

▲李耀翰先生

蕩減生活を通して本然の人間に

 心情の誘発が、原理的か非原理的かが問題です。それによって、蕩減(とうげん)条件をつくるか、讒訴(ざんそ)条件をつくるかが決まるのです。蕩減条件を積んでいなければ、何年たっても、理論的知識はもてても、霊的には成長できません。

 なす業が、蕩減条件を結んでいるかどうかが問題です。自分の生活を、原理的に分析しなければなりません。環境によって刺激を受けると、簡単に処理してしまって、歴史的、未来的内容を見つめようとしないことが多いのです。

 イスラエルの人々は、モーセが人を殺した時、その意味を考えずに、人殺しだとしてしまいました。

 ある事件を、その時間圏内のものとしてのみ判断してしまい、深い意味を考えなければ、蕩減条件にはなりません。それでは神の立場から見る情を誘発できないし、苦労しながらも、信用されない結果となってしまいます。

 自分の原理的基準を、どれほど生活に適用し得るかが問題です。サタンの血統にある私たちは、ある人がそこにいる時は、どういうこともなく、いなくなると尊敬し、寂しがるのです。だから、過ぎ去ったあと、「しまった」と思うことが多いのです。

 原理的基準を、どれだけ責任をもって生活に展開し得るかです。主に対した心情を、兄弟に対しても展開し得るか。主には忠孝を尽くしても、兄弟に対しては無責任になってしまうことが多いのです。

 内的決心が、どれだけ生活にでき上がっているか。どれだけ実行されているか。自分さえ勝利できれば、生活さえ勝利できれば、付き合っていた相手は復帰されてくるのです。

 自分をどう取り扱うか。神の立場から見た私とするのか、それとも私の立場から見た私とするのか。全体の中の自分として、どれだけ仕事に責任をもっているかを反省しなければなりません。

 人を伝道する時、霊的に真心を尽くし、誠意を尽くせば、神が責任をもつのです。3度真心を尽くして訪問すれば、神が責任をもつのです。何も言わずに、涙を流しただけでも復帰できるのです。

 神に到達する祈りは、み旨を思い、真心を尽くし、涙を流す祈りです。そうすれば必ず聞かれるし、その心情を取って神は摂理できるのです。

蕩減条件の立て方

 恵まれたあとには必ず、いったん下がります。その後、上がる時に心情の動揺がなければ、その恵みは自分のものとなります。捨てられた心情をある期間耐え忍べば、それは蕩減条件となるのです。

 出発当時の燃え上がった心情で、3年間過ごす人は少ししかいません。3年間は、先祖の功労の力によって子を生めても、自分の力で生むことはできません。なぜなら、この3年間は蕩減期間だからです。

 自分が復活してみると、復活していない人に対して悲しみがあふれてくるのです。そういう心情がわいてこない人は、まだ復活していないのです。蕩減と関係のない時間はありません。

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 次回は、「伝道/祈り」をお届けします。


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