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アブラハムとサラ

(光言社『FAXニュース』通巻612号[2001年2月10日号]「シリーズ旧約聖書人物伝」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。

 ユダヤ・キリスト教の源流に位置するアブラハムは、信仰の祖と呼ばれています。父テラと共に故郷カルデヤのウル(南メソポタミア)を離れ、ハラン(北メソポタミア)に住んでいましたが、彼はある日「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」(創世記121節)という神のお告げを受け、それに従ってカナンの地へ旅立っていきました。

少年期、偶像崇拝に疑問とむなしさ感ず

 ユダヤ教やイスラム教の伝説によると、父テラは偶像商人であったといいます。少年アブラハムは父のいないときに最大の像を残して他を壊し、「だれの仕業か」と追及する父に「この大像です」と答え、父が「石に過ぎぬ像がどうしてそんなことをしようか」と怒ると、すかさず「石に過ぎぬなら神ではなく偶像です」と父に反論したと言い伝えられています。

 若き日の彼は、森羅万象の背後にそれを造られた神様がおられることを感じ、偶像を祀(まつ)ることのむなしさを覚えていたのでしょう。彼はやがて偶像に仕える父の生き方に別れを告げ、ただ創造主にのみ仕えようと決心したのでした。

 ユダヤ教をよく学ばずに創世記11章の終わりを読むと、アブラハムは父の死後カナンへ旅立ったように思いがちですが、実際には、年齢を計算すれば分かるように、父の存命中に家を出たのであったと、ユダヤ教は教えています。

 ヘブル書に「アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむったとき、それに従い、行く先を知らないで出て行った」とありますが、彼は自分の行き先が滅びの場所か、または栄光の場所かも分からないまま、ただ神のみ言に身をゆだねて出発していきました。

 彼は砂漠のような道を歩みながら、このまま行けば家族も家畜も全て死んでしまうのではないか、と思うような環境に何度も遭遇したことでしょう。神のみ言を捨てて引き返そうか、と迷ったことも度々あったに違いありません。ところが「どうせ滅びるなら神様を信じて滅びよう」と決心したとき、神様によって生かされるという奇跡を幾たびも体験したのでした。

▲アブラハム(ギュスターヴ・ドレ画)

貞操を守り通しアダム・エバの蕩減

 妻サラをエジプト王パロに奪われたときがそうです。飢饉(ききん)の際、彼はエジプトに寄留しました。死海文書の外典創世記には、エジプトに入った夜、アブラハムは夢を見たとあります。その夢の内容は、香柏(こうはく)となつめやし(ヘブル語でタマル)の二本の木があり、人々が来て香柏を切り倒そうとしたとき、なつめやしの木が「香柏を切るな」と必死になって叫ぶと、そのおかげで香柏は助かったというものでした。

 サラは夫の身に危険が迫っていることを悟り一大決心をします。「彼は私の兄です」と言うサラの言葉によってアブラハムの命は助かったのです。当時、諸国の王は美しい女を得るために夫を殺し、妻にしたといいます。サラが宮中に召された後、アブラハムは涙の祈りをしました。サラもまた命がけで貞操を守り、その信仰の故にやがて宮中に疫病(えきびょう)がはやりました。パロは疫病の原因がサラを奪ったことにあると悟り、彼女をアブラハムのもとへ帰しました。(創世記12章)

 このことについて、『原理講論』は「パロが…妻サラを取って彼の妻にしようとしたとき、アブラハムは彼女と夫婦であると言えば自分が殺される憂いがあったので…自分の妻サラを妹であると言った。このようにアブラハムは…サラと兄妹の立場から、彼女をパロの妻として奪われたが、神がパロを罰したので、再びその妻を取り戻すと同時に、連れて行った彼の甥ロトと多くの財物を携えてエジプトを出てきた。アブラハムは自分でも知らずに、アダムの家庭の立場を蕩減復帰する象徴的な条件を立てた」(318ページ)と解説しています。

 アブラハムとサラは、絶対信仰と祈りとによって貞操を守り通し、アダムとエバの堕落した立場を蕩減復帰する象徴的な勝利圏を立てたのでした。アブラハムの名は多くの人の父という意味で、その名が示すとおり、彼は妻の信仰に支えられ、幾多の試練を乗り越えて「信仰の祖」となっていったのです。

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 次回は、「アブラハムとイサク」をお届けします。

画像素材:PIXTA