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ニムロデとバベルの塔

(光言社『FAXニュース』通巻602号[20011月10日号]「シリーズ旧約聖書人物伝」より)

岡野 献一

 『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。

 洪水審判の後、ノアの息子セム、ハム、ヤペテの子孫たちが増え広がっていきました。聖書には、その当時、「全地は同じ発音、同じ言葉であった」(創世記111節)と記されています。

民は王にひれ伏し、王は神様に弓を引く

 神様は、人類最初の一組の男女アダムとエバが「真の父母」となり、そこから人類が増え広がって、神様を中心とした人類一家族世界が築かれていくことを願っておられました。しかし、アダムとエバの堕落によってその理想が実現されなかったために、神様はアダムの代わりにノアの家庭を立てて、もう一度やり直そうとしておられたのです。

 もし次男ハムが父ノアと心情一体化していれば、神様の復帰摂理はハムの一族を中心として展開されていたはずでした。そして人類は一家族となって、同じ言葉を話し、一つに和合した世界になっていたことでしょう。

 ところが、ハムの不信仰によって、ノアの家庭を中心とした摂理も失敗に終わってしまったのです。失敗がなければ、ハムとその子孫の上にこそ、神様の大いなる祝福と繁栄が予定されていたに違いありません。

 摂理の中心であったハムの子孫の中から「世の権力者となった最初の人」(創世記108節)と称されるニムロデが現れたことからも、そのことが推察されます。

 さて、ニムロデはバベル、ニネベ、レセンなど、数多くの町を建設した権力者でした。「天地創造」の映画では、彼は「バベルの塔」と関連付けられて、バベルの王として登場します。彼は自分の権力を誇示すべく、天にも届くバベルの塔を建て始めました。

 民は王の前にひれ伏し、「王ほど強く弓を引き、遠くに矢を放てる者はいない。王にできぬことはない。王に勝る権力はない。全地は王のもの。雷を力とし、稲妻で身を飾る。王の栄光は太陽より輝き、地にも天にも勝る者なし」と言って、王に絶大な賛辞を贈ります。

 やがて高ぶったニムロデは、神様をないがしろにし、バベルの塔の頂上から天に向かって矢を放ちます。バベルの町には神様を敬う心など全く見当たりませんでした。

 聖書によれば、ニムロデはノアのひ孫に当たります。神様の前に謙遜であり、義人だったノアの信仰は、すでにニムロデには継承されていません。

 確かに「天地創造」の映画が示すように、バベルの塔は、まさしく人間の神様に対する反逆、傲慢(ごうまん)、不信仰を象徴するものです。バベルの人々は、自然にある石の代わりに人工の「れんが」を焼き、また粘土の代わりに「瀝青」(れきせい=天然アスファルト)を用いて、人間の力で町や塔を建てることで、神様に対抗しようとしたのでした。

▲バベルの塔(ギュスターヴ・ドレ画)

言語の相違は縦横の関係が切れたため

 そして彼らは次のように言います。

 「町と塔を建てて、その頂きを天に届かせよう」と。

 「悪は徒党を組む」と言いますが、神様をないがしろにした人間の傲慢さは、もはやとどまるところを知らず、洪水審判直前のように地が暴虐で満たされるのも時間の問題のようでした。そこで神様は「民は一つで、みな同じ言葉である。彼らがしようとする事は、もはや何事もとどめ得ないであろう。彼らの言葉を乱し、互いに言葉が通じないようにしよう」(創世記1167節)と言われ、全地の言葉を乱されたので、人々は全地のおもてへと散って行ったのでした。

 『原理講論』には、「人間が、言語が異なるためにお互いが通じることができないようになったのは、…堕落により、神との縦的関係が断ち切られるとともに、人間相互の横的な関係も断ち切られてしまい、…長い間、互いにかけ離れた地理的環境の中で、各々が別れ別れとなって相異なる民族を形成したため」(603ページ)だとして、バベルの塔を説明しています。

 神様の似姿として創造された人間が、神様を中心として一つになれないということは本当に悲しいことです。

 韓半島も38度線によって南北に分断されてから半世紀が過ぎました。そのわずか50年間で韓国語と朝鮮語には約5万語もの語彙(ごい)の違いが生じてしまったとされます。
 まさに国境ができたことによって言語が乱れることの実例と言えます。

 チョムスキーら言語学者が言うように、人類には言語を生み出す普遍的文法が潜在的に備わっており、だからこそ、翻訳やコミュニケーションが成り立つのだとされます。それは人類がもともと神様を中心とした一家族世界を築くべきであったからこそであると言えるのです。

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 次回は、「アブラハムとサラ」をお届けします。

画像素材:PIXTA