2021.09.26 17:00
ノアと3人の息子と方舟
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
ノアにはセム、ハム、ヤペテという三人の息子たちがいました。創世記5章の系図によれば、ノア以前の歴代の人物たちは生涯路程の比較的早い時期に子を生んでいるのに対し、ノアの場合、子が生まれたのは500歳という高齢になってからのことでした。待ちわびてやっと生まれた子は本当にかわいいものです。ノアにとって息子たちのかわいさはひとしおだったに違いありません。
480歳で方舟、500歳で長男誕生
後世の時代に登場するアブラハムの場合も、イサクが生まれたのは高齢になってからのことでした。アダムとエバが祝福の時を待たずして子を生んだので、もしかするとノアやアブラハムは信仰条件を立ててから子を生むという蕩減の道を開拓したのかもしれません。
イエス時代の写本、死海文書の所有者だったとされるクムラン教団において当時盛んに読まれていたヨベル書によると、長男セムと次男ハムとの年齢差は2歳あり、三男ヤペテはハムよりさらに3歳下であったと説明されています。ノアは480歳のときに方舟(はこぶね)を造れという神様からの命令を受けたわけですから、500歳でセムが生まれたとすれば、ノアは神様に対して19年間精誠を尽くしてからセムを生み、21年間精誠を尽くしてからやっとハムを生んだということになります。
新約聖書に「箱舟が造られていた間、神が寛容をもって(人々の悔い改めを)待っておられた」「不信心な者たちの世界に洪水を引き起こし、義を説いていたノアたち8人を(神は)保護なさった」と述べられているように、ノアは必死になって人々を伝道しました。
ところが洪水が起こることを信じない人たちはノアを馬鹿にし、非難し、そのとばっちりがノアの妻や息子にも来たに違いありません。ノアが山に登って仕事をしているとき、おそらく人々は苦情を言うために家に押し掛けて「あの気違い男を何とかしろ」と詰め寄ったことでしょう。また息子たちは、方舟造りで人手が必要とされるとき、ノアの手伝いのために骨折ったことでしょう。そして帰る道すがら人々の冷ややかな視線に遭遇して、辛い思いをしたに違いありません。そんな中でノアが方舟を黙々と造っている姿に、何となく「恥ずかしいなあ…」という気持ちが徐々に芽生え、それが息子たちの心の中でくすぶり始めていたのかもしれません。
ノアを理解できずハムの使命失敗
ノアの家族たちも共に苦しんだ路程の末に、ついに洪水が襲ってきたのでした。その時やっとノアの息子たちは父を尊敬の目で見たに違いありません。それと同時に、「自分たちが手伝い、父ノアを擁護してあげたからこそこの方舟は完成したのだ。自分たちも功労者の一員であることを忘れてほしくない」と思ったことでしょう。息子たちは「洪水審判」の背後に、人類を滅ぼさざるを得なかった神様の涙の心情があったことを思わないで、「自分たちが義人だったからこそ救われたのだ」という自分本位な気持ちがあったのかもしれません。
水が引き、方舟から出てきたノアは、まず神様へ燔祭(はんさい)をささげ、救われたことを感謝しました。
さてノアは、アダムが土地を耕す者であったように、農夫となり、ぶどう畑をつくりました。ある日のことノアはぶどう酒を飲んで天幕(てんまく)の中で裸になって寝ていました。ハムとその末の息子カナンは、その同じ天幕の中にいました。「外にいる」二人の兄弟に告げたという聖書の記述から読み取れます。ハムにとって、そのときのノアの姿は非常な驚きだったことでしょう。
自分自身を義人であると自負していたハムの心に「お父さんも大したことがないなあ」と、ノアに対する軽蔑と裁きの思いが湧き起こってきたに違いありません。
もしハムに、ノアを思いやる気持ちがあったならば、「お父さん! あなたは人知れず悩んでいたのですね。あんなに伝道して苦労したのに、結局、救われたのは自分たちだけ…。洪水審判を回避させることもできず、多くの人々を死なせてしまった。きっと、そのつらい気持ちを忘れたかったのでしょう。お父さん、風邪でもひいたら大変ですよ」と、裸で寝ていたノアに毛布の一枚でも掛けてあげ、裸を覆ってあげていたに違いありません。
そうやってノアを愛して気遣うべきであったハムは、かえってノアを非難し、心情一体化することができなかったのでした。創世記9章22節の「裸」はヘブライ語で恥部のことで、まさに堕落したアダムがいちじくの葉で腰を覆ったその部分を、具体的には指しています。
神様は、ハムがノアと心情一体化し、ノアの勝利圏をそのまま相続してくれることを願っていました。しかしそれが失敗に終わったのです。
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次回は、「ニムロデとバベルの塔」をお届けします。
画像素材:PIXTA