2021.09.19 17:00
ノアと方舟
岡野 献一
『FAXニュース』で連載した「旧約聖書人物伝」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
ノアの名は「安息」という意味であり、聖書によれば「慰め」に由来しています。神様は、人間を喜びのための善の対象として創造されましたが、アダムとエバの堕落によって地は暴虐で満たされたため、ノアを見いだすまで心を痛め続けて来られました。神様は「人を造ったことを悔いる」とさえ言われたのです。慰めに由来するノアの名は、おそらく義人ノアと出会われたときの神様の心境でもあったことでしょう。そのときすでにアダムから約1600年がたっていたのです。
非難中傷浴びて方舟造り
さて、地が暴虐で満たされているのを見られた神様はノアに「すべての人を絶やそうと決心した。いとすぎの木で箱舟を造りなさい。あなたは家族と一緒にその中に入りなさい」と言われました。その方舟の大きさは、長さ135メートル、幅22.5メートル、高さ13.5メートルの巨大なものです。イエス時代の写本、死海文書の『創世記註解』によると、ノアが神様からの命令を受けたのは480歳の時だったとされています。洪水が起こるまでの120年間にわたってノアは神のみ言を絶対的に信じて、方舟を造り続けたのでした。
映画「天地創造」には、山の上に方舟を造るノアの姿を見て人々があざ笑っている場面が描かれています。啓示を受けた時点では、本当に来るかどうかも分からない洪水に備えて巨大な船を山の上に造ろうというのですから、確かに世間の常識から見れば「なんと愚かなことを…」と思われたに違いありません。そればかりか、ノアのとった行動は多くの人々から非難中傷されたことでしょう。「山の上に何の役にも立たないものを造りやがって迷惑だ。木をこんなに伐採してもったいない。環境破壊だ」「道路はあんたのためだけにあるんじゃないぞ。山道に材木を積み上げて羊が通る邪魔じゃないか。それに子供が遊んでけがでもしたらどうするつもりか」「おまえの方舟のせいで俺の畑の日当たりが悪くなった。近所迷惑だ。おまけに船に塗ったアスファルトの臭いが風に吹かれ家中に漂って気分が悪い。いい加減にしろ」こんなふうに人々から呪われたことでしょう。
文先生はノアの歩んだ路程について次のように語っておられます。
「ノアの時代には、ノアが神から命令を受けたことを誰も信ずることができませんでした。ましてや誰も来るべき洪水審判を知らせる彼の使命を理解することはできなかったのです。ノアがその時代の人々にどのように思われたか想像できますか? ノアの妻は毎日、ノアの弁当箱には少しの食物しか入れなかったに違いありません。ノアは方舟を造るのに忙しく、家族の面倒を見る時間がなかったのです。数か月間のうちに、家族のうちで口論が始まったに違いありません。…人々はノアが方舟を造っているのを見て、ノアは気違いだと考えたのです」(1973. 10. 21)。
重労働者にとって唯一の希望が昼飯です。持たされた弁当に妻の愛情がこもっていれば、それだけで不思議と力が湧いてくるものです。ところがノアは弁当を開けるたびに寂しく思ったに違いありません。見ず知らずの人から呪われるのはまだ我慢できますが、身内の者でさえ自分のやっていることをあまり快く思っていないという現実が、毎日の弁当に浮き彫りにされていたのです。
神様を慰めたノアの精誠
それでもノアは家族を心から愛していました。愛していたからこそ家族を方舟に乗せて救ったのです。またノアは世の人々をも愛していました。自分をばかにし、後ろ指をさす人に対してさえ、ノアは一生懸命伝道したというのです。「洪水審判が来る、悔い改めよ。みんな方舟に乗れ!」と呼びかけました。そしてそれ以上に神様を愛していこうとしたのがノアだったのです。
ですから今日も疲れた体を引きずって山に登っていくとき、ノアは涙を流さない日がなかったことでしょう。腹を割って神様の事情圏について話し合いたい。なぜ洪水審判をされようとしているのか? しかし周囲から異端視され、身近な者からも疎んじられる…。おそらくノアは祈りの中で、神様もこういう道を歩まれたことを知り、熱い涙を何度も流したに違いありません。
やがて600歳となり40日にわたる洪水審判がやってきました。ノアは必死に伝道しましたが、救われたのは家族8人だけでした。救われた人は少なくても、ノアの精誠がどれほど神様を慰めたでしょうか。ノアを見いだすまで人類に裏切られ続けてきた神様にとって、ノアは永遠に忘れられない人物となりました。神様はノアに「生めよ、ふえよ、地を治めよ」と言われました。それはアダムに与えた祝福と同じでした。
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次回は、「ノアと3人の息子と方舟」をお届けします。
画像素材:PIXTA