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心情開拓
心霊を育てる生活原則(19)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

1 牧会

▲李耀翰先生

心を土台として神がやる

 神は、一遍に三つ、四つのことを命令する時があるのです。そういう時は、「行け」と言っても、行くのを見るのが目的ではなく、「行け」という命令を受ける時の、その人の「行きたい」という心構えを見るのが目的なのです。

 だから、「こんな人間に、あれやこれやと忙しく仕事をさせなくてはならない神は、かわいそうだな」という神に対する同情心がわき上がるくらいの心情があるならば、こんな自分も神にとっては必要であり、こんな自分をも信じてくれるのだという縦的な因縁を発見するのです。そのように、神と神が命令した人との間に、相対基準ができれば、たとえその場に座っていても、あとは神がやってしまうのです。

 そういう信仰がないと、「体は一つなのに、あれもこれも……」と不平を言いやすいのです。モーセに率いられた60万の民は、紅海を前にして、「たくさんの人を連れてきて、どうするつもりか」と、モーセに不平を言ったのです。もしもその60万の民が、「エジプト軍の馬の足に踏まれて死ぬのは恥である。海の中に飛び込んでも、私たちをここまで連れてきた神が、滅ぼすはずはない」と信じたならば、モーセが杖(つえ)で海を打つ必要もなかったのです。

 だから、ああやれ、こうやれという事情がぶつかってくる時には、「人間はたくさんいるのに、神様、こんな者を選ばねばならないのは、本当にかわいそうですね」と祈ってみれば、自分も涙が出るのです。その涙は、神の涙です。その時に神の悲しみを体験するのです。そのあとで、我知らず「やるぞ」という誓いが出てくるのです。すると、神が仕事をやるのです。

 命令は神がして、なすべき結果も神がするのです。人間は復帰摂理に加担しているけれども、仕事は全部神がしているのです。私たちの「心」を土台として、神がやるのです。私たちが伝道に出た時など、特にそれを経験するのです。何かに成功しても、神の前には「それは私がやったのです。私でなければできないことです」とは言えないのです。縦的関係において、「やりたい」という気持ちがあれば、仕事は神がやっていくのです。

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 次回は、「伝道以前の問題」をお届けします。


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