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信仰の伝統
教会創立以前から文鮮明先生に侍って(11)

 家庭連合の信仰の長兄である金元弼先生(1928~2010)の講話をまとめた書籍、「信仰の伝統」を毎週日曜日配信(予定)でお届けします。
 本書を通じて神様の深い愛と文鮮明先生の心情の世界、信仰の在り方を学ぶことができます。

金元弼・著

(光言社・刊『信仰の伝統 教会創立以前から文鮮明先生に侍って』より)

第一部[証言]先生と歩んだ平壌・興南時代
一、平壌開拓の日々

▲金元弼先生

真心で指導される先生

 先生はみ言を語られる時、冬には綿の入った韓国古来の衣服を着ていらっしゃいました。説教が終わる時には、その綿の服を絞れば汗が垂れてくるくらいに、汗を流してみ言を語られました。それゆえに、食口は毎週着物を洗い、そして作らなければなりませんでした。また韓国の着物は、洋服のようにただミシンに入れて回すのではなく、いちいち手縫いで作るのですが、そのあとに、布は布なりに、綿は綿なりに、初めて作るようにしなければなりませんでした。このメンバーたちは、長年神に侍り、イエス様に侍る生活をしていた人です。それゆえに、神からいろいろなかたちで、先生にどのように侍らなければならないかを教えてもらい、本当に真心を尽くしたのです。

 私たちは気軽に握手することもできますが、当時は、霊能者であっても先生の着物に触れるのは難しいことでした。

 先生は、何も語られないのです。もちろん、新しい食口が来た時には、み言を熱心に語られますが、個人的にはなかなか語ってくださいません。皆さんは、私は先生と近くにいるから、直接たくさんのみ言を頂くだろうと考えるかもしれませんが、そうではないのです。私が何も分からず、幼いからでありましょうけれども……。

 先生は、礼拝が終わると、教会から離れた野外とか、学校の庭とか、そういう所をたびたび訪ねられました。その時に、「何か聞きたいことがあったら聞きなさい」と言われました。しかし、私は、先生の言われることを全部信じていましたし、理解できていましたから、何ら質問の余地はありませんでした。それで「ありません」と答えました。先生は、私が「何も分かっていません」と言ったら、もっと高い次元のみ言を語ってあげたいと思われただろうと思います。

 しかし、受ける態勢にもなっていない幼い者と見えたからでしょう、先生は私に、「この教会は6千年前にはなかったし、6千年後にもない。そういう集団であるということだけ分かればいいですよ」とひと言だけ教えてくださいました。その時は、統一教会という名前もなく、集まりであり、群れであり、集団だと教えてくださったのです。今考えてみると、何を言っても私にはよく分からないから、ただ結論だけ教えてくださったのでした。

 短いみ言ですが、深く考えてみればみるほど、6千年という有史以来なく、これからもない集団であるというみ言に、原理の結論を示していらっしゃるのです。私は、その本当の意味が分かりませんでした。

 先生は礼拝が終わると、よく和動の時間をもってくださいました。当時の韓国の社会では、男女が同じ部屋で一緒に話し合うということは、非常にまれなことでした。女性は、男性の前を通るものではありませんでした。食事も、女性は他の所でしました。そこにキリスト教が入ってきて、そういうことは徐々になくなっていったのです。また、教会の建物自体も、そのようになっていました。今は男女が一緒の座敷に座りますが、韓国のキリスト教会では、女性の席と男性の席が別々になっていました。そして、男性の説教者は、両側全部を見られるようになっていました。しかし、女性の方からは男の人たちが見えないような造りになっていたのです。
 クリスチャンは礼拝が終わると、民謡(歌謡曲)はなかなか歌いません。賛美歌だけを歌うのです。しかし先生は和動する時に、食口たちの中で、民謡をよく歌ってくださいました。今から356年前(1946年ごろ)の話です。これは皆さんの国での356年前ではなく、韓国での話です。ですから韓国のキリスト教では、このように民謡を歌っても、罪のように考えたのです。革命だとしたら、これほどの革命はないと思います。先生のお心は、たとえどういう歌であっても、歌って愛する愛の対象が神であり、メシヤであるならば、どういう歌でも歌うことができるというお考えなのです。

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 次回は、「赤い線でいっぱいの先生の聖書」をお届けします。


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