信仰と「哲学」78
コロナ禍世界の哲学(2)
資本主義原則の限界説

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 いまだコロナ禍で世界は苦しみの中にあります。そんな中で思想・哲学の世界では、その後の世界論=「グランドデザイン」の模索が始まっています。
 マルクスの見直しや、これまで世に出なかったマルクスのメモなどを持ち出しての「資本論」の新解釈まで飛び出しています。それが「コロナ禍世界」の哲学であるというのです。

 中でも、マルクスに関する新資料を前提に、資本主義の限界とその根本的革命の在り方についての新説を提示しているのが大阪市立大学准教授・斎藤幸平(さいとう・こうへい)氏です。
 『人新世(ひとしんせい)の「資本論」』(集英社新書)を著しました。その内容の紹介は後ほどすることにします。

▲カール・マルクス(ウィキペディアより)

 今、共産党をはじめとする「左翼」に勢いがあります。
 昨年(2020年)6月20日付の「しんぶん赤旗」に、日本学術会議の前議長・山極寿一氏(前京都大学総長)による資本主義批判の主張が掲載されました。「新型コロナが問う日本と世界」というインタビューシリーズに登場したのです。

 山極氏は以下のように述べています。

 「新型コロナウイルスの感染拡大が明らかにしたことは、地球の環境破壊を抑えないと、気候変動の問題だけではなく、感染症の蔓(まん)延をもたらし、経済、社会に大きな被害をもたらすということです」とし、「ウイルスが突然変異し姿を変えて人間に襲い掛かってくることが近年頻繁に起こっています。SARS、MERS、新型インフルエンザなどです。人間がこれまで安定していた生態系を開発によって破壊を進めたために起きています」と警告しています。

 そして、「問題は、利潤をあくまで追求し、利潤を将来の投資に向けるという資本主義の原則です。資本主義はそのための自然破壊をためらわないのです。資本主義は、自然が“文句”を言わないために、自然を『搾取』してもいいと考えます」と述べ、「コロナ禍のもとで、だれもが資本主義は限界だと感じているのではないでしょうか。これからの社会を考えた時にコロナ危機が教えてくれることは、人間にとって何が大切かということです」と言い切っているのです。

 山極氏が「共産主義者」であるとは思いません。
 それにしても、新型コロナ感染拡大の原因を資本主義の原則の限界として強調するとは驚きです。

 前述の斎藤氏は、「地球環境問題」から資本主義原則の限界と「新たなマルクス主義」としての「資本論」=「コミュニズム」を提唱しています。新共同体論の提示です。