2021.06.28 17:00
信仰と「哲学」77
コロナ禍世界の哲学(1)
「世界秩序を永遠に変える」(キッシンジャー)
神保 房雄
「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。
キッシンジャー元米国務長官が米紙に、新型コロナウイルスの厄災が「世界秩序を永遠に変える」との個人の見解を寄稿したといいます(「読売」2020年5月2日付)。
その内容を調べているところですが、「永遠に変える」という表現が気になるところです。「ポスト・コロナ」などは存在せず、これが「ニュー・ノーマル」(新常態)になるという意味なのかもしれません。
中国・武漢を発生源とする「コロナ・パンデミック」は、世界同時多発とも言える人類歴史上かつてない厄災です。
人災説として、発生源としての武漢ウイルス研究所からの流出説、感染爆発要因としての経済格差・貧困層の広がりが指摘されています。その背景としての新自由主義批判、さらには資本主義体制限界論まで登場しています。
また日本では、国民の命が危険にさらされる非常事態下での国家・政府の機能の弱さが浮き彫りとなり、今後の憲法改正論議の中心になると思われます。
今後、ワクチン接種の本格化によって社会、世界がある程度の安定を取り戻すことができるようになるかもしれません。しかしワクチンの有効率が100%にはならないことは医学的に明白なこと、ウイルスは決してなくならないのです。
仮にコロナ禍がほぼ終息段階に至ったとしても、今後の人間の自然界への接触により、別のウイルスがまん延する可能性は大いにあるのです。
人間の生活圏の拡大は、必然的に新種のウイルスの拡散につながると見なければなりません。
過去20年間を振り返れば、新型インフルエンザ、SARS、MERS、エボラ出血熱など、新種のウイルスによる感染症が続々と出現しています。この間に出てきたウイルスの数は非常に多いのです。
この点から見れば、もう以前の「普通」の状態に戻ることは決してない、2019年までの世界は終焉(しゅうえん)したということが言えるのでしょう。
キッシンジャー氏が「世界秩序を永遠に変える」と述べたとおりです。
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」はない、以前の世界の秩序は影も形もなくなり、新しい世界となる。さらに、人間が新しい世界をつくり上げなければならない時が来ているということなのでしょう。