信仰と「哲学」79
コロナ禍世界の哲学(3)
なぜ「人新世の『資本論』」なのか?

神保 房雄

 「信仰と『哲学』」は、神保房雄という一人の男性が信仰を通じて「悩みの哲学」から「希望の哲学」へとたどる、人生の道のりを証しするお話です。同連載は、隔週、月曜日配信予定です。

 斎藤幸平氏(大阪市立大学准教授)の『人新世の「資本論」』(集英社新書)は、30万部以上の経済書としては異例ともいえるヒットとなり、「新書大賞2021」を受賞しました。

 「人新世」という言葉は、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェン氏によって広められました。
 含まれている意味は、人類の経済活動が地球に与えた影響があまりにも大きいため、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したというものです。それで「人新世」と名付けたというわけですが、これまでの経済成長が人類繁栄の基盤を切り崩しつつある、すなわち環境危機、気候危機との意味が含まれているのです。

 斎藤氏は、「人新世」の危機の本質は資本主義にあるとします。
 資本は無限の価値増殖を目指しますが、地球は有限であり、資本主義が経済成長を優先する限りは、気候変動、地球環境破壊の問題を解決することができないというのです。

 斎藤氏は、今の危機の時はまた好機でもあるはずだと述べています。迫りくる危機によって、先進国の人々が自分たちの振る舞いが引き起こした現実を直視せざるを得なくなり、これまでの生活様式を改め、より公正な社会を求める要求や行動が広範な支持を得るようになるかもしれないというのです。

 氏はまた、気候ケインズ主義としてのグリーン・ニューディール政策(米民主党のバニー・サンダースらが強調)である、自然エネルギーや地球温暖化対策に公共投資することで新たな雇用や経済成長を生み出そうとする政策では根本的解決はできないと断言します。

 問題はもっと根深いというわけです。
 これまでの経済成長を支えてきた大量生産・大量消費そのものを抜本的に見直さなければならない。無限の経済成長を目指す資本主義に、今、ここで本気で向き合い、自分たちの手で資本主義を止めなければ人類の歴史が終わる、とまで言い切るのです。

 氏の提唱は「脱成長」です。重要な問題は、どのような脱成長を目指すべきなのかということです。それは、従来のマルクス主義的手法ではない、と言います。
 つまり私的所有や階級といった問題に触れることなく資本主義にブレーキをかけ、持続可能なものに修正することができるのかということです。
 労働を抜本的に変革し、搾取(さくしゅ)と支配の階級的対立を乗り越え、自由・平等で、公正かつ持続可能な社会を打ち立てる、これこそが新世代の脱成長論だというわけです。
 これは、「マルクス主義」批判です。

 斎藤氏がなぜ「資本論」との言葉を使用するのでしょうか。
 マルクス研究者であるから、ということも理由の一つでしょう。さらに資本主義の限界の明示と克服論の明示において「資本論」との文言を用いるのは、注意を喚起するにおいて大きな効果があると考えたのでしょう。しかし述べていることは、「従来」のマルク主義批判です。日本共産党が斎藤氏の議論に乗ってくることはまずないでしょう。

 氏は、「マルクスの『資本論』を折々に参照」しながらも、「マルクス主義の焼き直しをするつもりは毛頭ない」と明言しているのです。