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心情開拓
心霊を育てる生活原則(7)

 原理を生活化するために、李耀翰(イ・ヨハン)先生(1916~2019)が信仰のイロハを日本人の心情を分析しながら説かれた講話集、「心情開拓~心霊を育てる生活原則」を毎週金曜日配信(予定)でお届けします。
 家庭連合の教会員の皆さまはもちろん、世代を超えて多くのかたに読んでいただきたい書籍です。

李耀翰・著

(光言社・刊『心情開拓~心霊を育てる生活原則』200549日第3版発行〉より)

1 牧会

▲李耀翰先生

信仰的「勘」

 神と一緒にいると心が平和で、神と離れると、何か感ずるのです。勘で分かるのです。神の立場を離れた場合には、何か減少感が起こるのです。何だかおかしいという勘が起こるのです。それを区別すればいいのです。

 信仰生活というのは、これをはっきり区別しないと、結局、自分の信仰の内容を守ることができないのです。それは、だれも教えてあげることはできないのです。自分が自分の勘を分からなくては、だれに教えられても、絶対にできないのです。

 自分が自己の存在位置を離れたときは、何か不快です。恐ろしい気がするとか、不安な気がする。サタンはこういう条件を捕まえて、主管するのです。この不安の時には、ゆったりした、感謝する人のところに行って、自分の不安を全部告白すると、すぐ治るのです。自分の立場から離れそうになったなら、自分より以上に自分の立場を喜んでくれる人のところへ行って、自分の不安の事情を全部告白すれば、すぐ治るのです。

 それは、3時間以上になったら病気にかかって蕩減(とうげん)しなくてはならなくなるのです。だから、寝る前に、その日の不安をみな解決してから寝ないと、病気にかかって、その3日後には、事件が起こるのです。必ず起こるのです。

 韓国でも、伝道をしに行って事故が起こったとか、夜中にどろぼうが入って、全部持っていってしまったとかということがありました。こういう事件が起こったあとに、「おかしいな、どうしてこんな事故が起こったのか分からない」とよく言うのですが、それは、この3日前に何かなかったかと、よく情的に調べてみれば分かってくるのです。そういう事件が起こる時には必ず、夢にも勘にも、あらかじめ予感が来るわけです。

主管性転倒(1

 よく怒る人、それは何かというと、よく主管性が転倒された人なのです。アダム・エバが天使長に主管されて以後、この血の中には血気が流れているのです。だから褒める時には喜んでいるけれど、無視すると何か不快になってしまうのです。特に日本人の気性は、とても敏感です。

 随分以前に、私も日本人と一緒に満州に行ったり、日本に来て一緒に暮らしてみましたが、韓国人に対して、とても嫌がるのです。なぜかというと、気が合わないのです。韓国人は、朝起きても、黙っていて、あいさつをしようともしないのです。だから日本人は、怒っているのかなと思ってしまうのです。あいさつもしないし、付き合いの悪いふうをしているから、韓国人は何とも思っていないのに、日本人のほうは怒っているのです。

 日本で暮らす時には、いつも会ったら「おはようございます」、自分の心でなくてもやらなくてはいけない。韓国では、心では感謝しながらも、表さないのです。そんな欠点があるのです。内的には相当感謝し、敬い、かつ尊敬するけれども、外的には口で発表しないのです。

 言えばどうなるか。発表したなら、この心が外れてしまうのです。空気をいっぱい入れた感情を口で言い出せば、パンクしたタイヤと同じようになるのです。それで、なかなか話さない。だから韓国人の性質において、そういう面が日本人と、ちょっと違うのです。だから、あまり人に対して、そのようにしないのです。なぜかというと、本当にその人が大切だからなのです。そういう面は、日本の学ぶところなのです。

 韓国では、そういう教育を家庭において受けてきたのです。子供の時から、父母がこう言うのです。「あまり自分の気のまま、はきはきするといけない」と。「自分の精神に深く隠しておかないといけない、あまりしゃべっちゃいけない」と。こう押さえているものだから、女性でも、自分の夫に対して尊敬するけれども、夫が帰ってきても、炊事場からなかなか出てこないのです。出てきては駄目だというのです。家庭教育がそのようになっているため、日本人から見れば、「何も自分は悪いことを言っていないのに、憮然(ぶぜん)とした顔をして、あいさつもしないで」といって、ちょっと誤解される時が多いのです。

 結局、相手を自分の思うとおりに何か指図するとか、その相手がしてくれるとか、という予感をもって付き合うのはいけないのです。その人はその人のように、その気持ちのまま表す。信仰者はそれを、よくよく考え、良く思ってあげるのです。自分と違うから、「こいつ気持ちの悪い人間だ」と、こう言ってはいけないのです。あの人の中にも、何かあるからです。

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 次回は、「主管性転倒(2)」をお届けします。


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