『平和の母』に見る10大奇跡 5
5回「第5奇跡~愛の減少感の克服」

浅川 勇男

 もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
 「平和の母」シリーズ第1弾。自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による「『平和の母』に見る10大奇跡」をお届けします。

 韓鶴子夫人は聖婚後、多くの困難と試練に立たされました。平穏な新婚生活とは全く無縁でした。

 17歳で、教会の指導者にして再臨主・文鮮明先生の妻になったことを、多くの人が心から祝福したわけではありませんでした。文先生の聖婚の相手として、当初、韓鶴子夫人の名前は候補者名簿にさえなかったのです。

 「当然、自分が妻になるべき」と思い込んでいる女性もいました。
 文鮮明先生の聖婚の相手が韓鶴子夫人に決定した瞬間、「なぜ、どうして?」「妻として大丈夫なの?」といった、さまざまな懐疑心、不満、ねたみ、嫉妬が渦巻きました。

 それも耐え難いものでしたが、韓鶴子夫人は夫である文鮮明先生からも耐え難い試練を受けたのです。
 文先生は、韓夫人を母親と別れさせ、さらに母親に対しては「これから三年間は私の前にも姿を見せないでください」(光言社 文庫判 文鮮明先生自叙伝『平和を愛する世界人として』219ページ)と厳命し、親戚との関係も全て断つようにしたのです。

 そのため、韓鶴子夫人の心情的支えとなる人は身近に全くいなくなりました。出産の際に母親がサポートすることもできなかったのです。

▲1960年代の韓鶴子夫人(右)

 さらに文鮮明先生は、新婚にもかかわらず妻とは同居せず、妻を他の家に間借りさせ、教会に来ることも一日に一度しか許可しませんでした。しかも韓鶴子夫人は夜に教会を訪れ、帰る時には裏門から静かに出ていくように命じられたのです。

 文鮮明先生は、事あるごとに、妻の韓鶴子夫人をとがめました。言葉を一言間違えただけでもとがめ、「うれしい」と言ってもとがめました。韓夫人は薄氷の上を歩くがごとく、大変な日々を過ごしたのです。

 文鮮明先生は、当時を振り返って言われています。
 「妻の心の中の悲しみはさぞや大きかったことでしょう」「その苦労たるや言葉で言い表せないものがあったに違いありません」(同221ページ)

 サタンがサタンになったのは、愛の減少感を越えられなかったからです。サタンは愛されているのにそれを感じ取ることができず、愛の減少感や疎外感を克服できませんでした。そして神に反抗するようになったのです。

 最大の試練は愛の減少感でした。サタンが越えられなかった愛の減少感を越えてこそ、「真の母」になれるのです。それができなければ、サタンは永遠に讒訴(ざんそ)し続けます。
 韓鶴子夫人は愛の減少感を乗り越えてサタンを屈服させなければなりませんでした。夫婦が完全に一体化して真の父母の道を歩まなければならなかったのです。

 このことを韓鶴子夫人は悟っていました。

 この試練の期間を見事に乗り越えて、「やがて目を見るだけでもお互いを理解できるようになりました」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』128ページ)。そして聖婚後の試練は韓夫人を飛躍的に成長させたのです。

 「忍耐という苦い種が一つ一つ実を結び、いつの日か、光り輝く誇りとなるのです」(同130ページ)



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