2021.07.14 22:00
『平和の母』に見る10大奇跡 6
第6回「第6奇跡~ためらいなき愛の実践者」
浅川 勇男
もう一度皆さまにぜひ読んでいただきたい、編集部イチオシ!なコンテンツをご紹介。
「平和の母」シリーズ第1弾。自叙伝書写の第一人者、浅川勇男氏による「『平和の母』に見る10大奇跡」をお届けします。
人には誰しも大切にしているものがあります。それを誰かに与えようとするとき、「ためらい」が生じます。
与えるにふさわしい相手なのか?
自分が大切にしたように扱ってくれるだろうか?
損するのでは?
後悔するのでは?
そんな躊躇(ちゅうちょ)や迷いが生じます。
さらに、与えたことが記憶に残り、与えた分の見返りがないと、憎しみや怨みに変わります。
そんなはかない愛の世で、ためらいなき愛を実践する女性たちがいます。それは、お母さん、です。
ためらわずに与えて忘れる愛。それが母親が幼子に乳を飲ませる愛です。乳を飲ませた後、投入量をノートに記録しておき、幼児が成人した後、代金を請求するという母親はいません。
母親の幼子への愛は、無私、無条件、無償の愛です。しかし、自分が出産した子供以外の子には、ためらいなくできるでしょうか。縁もゆかりも全くなく、ましてや怨讐の子供だったらどうでしょうか?
真の愛とは、わが子だけにためらいなく与えて、忘れる愛ではありません。全ての子供たちを、分け隔てなく、自分が出産した子女のように愛するのが「真の母」なのです。
韓鶴子夫人の無償の愛に関する逸話があります。
夫の文鮮明先生が妻の韓鶴子夫人に結婚指輪をプレゼントしました。夫人はその大切な指輪をかわいそうな人にたまりかねてあげてしまい、そのことを忘れてしまっていたのです。
夫から聞かれても、指輪をあげたことすら覚えていませんでした。普通の夫なら激怒するところですが、文鮮明先生は感動して喜び、そんな妻を誇ります。(参照:光言社 文庫版 文鮮明先生自叙伝『平和を愛する世界人として』223ページ)
真の愛は、ためらわずに与えて忘れ、さらに与える愛なのです。
真の愛を学ばずとも、本性として実践する人は、もはや、この世の人ではありません。
歴史的に見ても、「汝の敵を愛せよ」と語り実践したのは、イエス・キリストと文鮮明先生だけではないでしょうか。
いずれも、神の独り子、男性でした。韓鶴子夫人は、神の独り娘であるが故に、怨讐にさえもためらわず、与えて忘れる女性です。歴史上に現れた唯一の神の独り娘なのです。
母は、子供に才能があり健康で投資した結果が見込まれるから、与えるのではありません。子女である、という理由だけです。韓鶴子夫人は、人類をかけがえのない子女として、ためらわずに尽くして与える「平和の母」なのです。生まれながら真の愛を実践する「奇跡の人」なのです。
「私は与えるのもためらいなく与えますが、与えると同時に、そのことを忘れてしまいます。自分が持っている物を与え、愛を与え、さらには命まで与えても忘れる人が、神様の一番近くに行くことができるのです」(韓鶴子総裁自叙伝『人類の涙をぬぐう平和の母』186ページ)