コラム・週刊Blessed Life 171
人類はどこへ行くのか

新海 一朗(コラムニスト)

 人類の歴史は現在大きく変化し、驚異的な飛躍・発展を遂げる可能性が見えてきた、そういう段階に来ていると思われます。

 それを妨げてきた大きな要因は、人間自身の問題、すなわち人間のエゴです。
 人間の利己主義が無駄な争いを引き起こし、人間同士が争って対立し、果ては戦争の悲劇を幾度も体験しながら、それでも懲りずに、相も変わらず、殺戮(さつりく)の惨禍を現在も続けているという状態が、人類歴史の発展を阻害している根本原因です。

 経済的、技術的な側面から、人類歴史の発展史を見ると、石器時代を別にすれば、まず「農業人」としての人類の姿があり、それから農業依存を脱し、18世紀になるとさまざまな産業を興す時代に突入します。すなわち、「産業人」としての人類の姿が歴史舞台の主役を務めるようになります。

 これを別の言葉で表現するならば、「農業革命」(農業技術の発展とそれに伴う農業生産物の収穫増加)を経て、「産業革命」(工業化とエネルギー革命)へと進んできた人類の足取りであったと見ることができます。

 大きくは現在も産業革命の継続中であると言えますが、その中心が、いわゆる「技術革新」(イノベーション)であり、技術の発展が驚異的、画期的な新局面をもたらしつつあるという認識で共通しています。すなわちIT(情報技術、コンピューターやデータ通信をベースとする情報システム)、IoT(モノのインターネット、モノがインターネット経由で通信すること)、AI(人工知能、AIを活用したビジネス全体の変革)など、先端技術が人類社会の姿を変えつつあるということです。

 この段階を「(先端)技術人」の時代と呼ぶならば、人類の歴史は「農業人」「産業人」と続いて、現在「技術人」の時代に入っていると言うことができるでしょう。

 高度な「技術人」の時代(20世紀から21世紀)は、一般的な意味での技術が先鋭化してきており、それ故に技術革新(イノベーション)といわれるのですが、非常に高度化、あるいは超高度化した技術が世界を変える、人類社会の姿を変えるという意味を語るものです。
 人間が開発して生み出した科学技術が、逆に人間を奴隷化するといったイメージで語られるようになっているのです。

 果たしてそうでしょうか。

 これからの時代、何か得体の知れない科学技術の進歩が人間の生活全般を支配し、人間がまるでITやAIの奴隷のようになって、人知を超えた生き物のようなITやAIに支配される時代になるだろうと心配し、警告を与える人も少なくありません。

 中国はそのような実験を、国を挙げて行っているという見方もあります。
 AIで国民を監視し、国民の個人情報を全てデータ化して、国家の意思(共産党の意思)に反する者は直ちに処罰を受けるという国民総奴隷化社会に中国は突き進んでいるといった予測が行われたりしています。

 しかし神は、人類に主体的に生きる「自由意思」(原理原則を逸脱しない範囲で)を与えました。人間を奴隷として創ったわけではありません。
 人間に愛の喜び、創造の喜びに生きる自由を与えたのです。人間が心情的な(愛を源泉とする)存在である以上、人間がAIの奴隷になることはありません。愛はAIを超えた絶対的な情的な力であり、真の愛こそが世界を支配する唯一の力なのです。