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『祝福家庭』88号(2018年 春季号)
小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」

43双祝福、永遠の相対者と出会う
〜カップリングにご苦労される真のお父様〜

 (カープ会長と学生部長を兼務していた私が、セミナー開講式での)講義を終えて、新宿に戻ったのは(1969年4月末の)午後4時過ぎでした。
 そのとき、「ちょっと時間があるな。映画でも観て帰ろうか」と思ってそのように行動していたならば、私は、43双の祝福を受けられなかったと思います。

 私は「祝福のために、先輩たちが深刻になっているだろう。後学のために帰ろう」と思い、旧松濤本部に戻りました。そして2階の礼拝堂に行くと、先輩の男性たち20人から30人が深刻な顔で待機していました。

 そこで、近くにある別の館で「夕食でも頂こうかな」と思っていると、突然、松本道子ママが「小山田さんは、いるか?」と私を呼ぶのです。
 そのときは、まさか天が私を祝福の対象者にされるとは思いもしませんでした。

 私には、かねてより「海外宣教に出たい」という夢があり、以前、そのことを久保木会長にお願いしていたので、私は一瞬、「その回答かな?」と思ったのです。
 そして会長室を訪ねてみると、そこには真のお父様が座っておられました。

 お父様は、「今回(祝福を)受けなければ、次に受けてもいいんだよ」とおっしゃいました。
 私がお父様に、「み意(こころ)のままに」と申し上げると、お父様は「み意が聞いているんだ」とおっしゃったのです。

 そのときは、祝福の相手として希望する5人の候補者名を挙げることができました。それで私は、思いつくまま、年齢順に対象者となる5人の女性の名前を書いたのです。
 するとお父様は、「おまえ、やる気がないんだろう」とおっしゃったのです。

 その当時、クリスチャン出身の私にとって、「いかに原罪を脱ぐか」ということが最も深刻な課題でした。
 私は、「地上では目をつぶり、最後に霊界で天国に入る道に行くことができればよい」というようなキリスト教的な観点で祝福を考えていたので、祝福の相手については、「誰でもよい。たとえ、どんなおばあさんでも構わない」と思っていたのです。

 そのため、私はただ年齢順に5人の女性候補者の名前を書き出したのです。その中に「岸本儀子」の名前がありました。
 お父様は消去法的にご覧になったうえで、「おまえ、なんでこの女性を選んだ?」と尋ねられました。

 理由は特にありません。
 私は思いつくまま、「(彼女は)私のもっていないものを全部もっています」と申し上げました。

 するとお父様は、「それはそうだ。本人が『イエス』と言うかどうかが問題だ」とおっしゃったのです。
 「ちょっと待っとれ」と言われたので、私は部屋の外に出て待ちました。

 そのとき私が思ったことは、「果たして彼女が『イエス』と言うかどうか。断られたら癪(しゃく)に障るなあ」と、正直その程度でした。

 ところが、彼女が「オーケー」したことでマッチングが成立し、私は「意外なことが起こるなあ」と思ったのです。

▲真の父母様と43双の祝福式に参加した小山田先生夫妻(1969年5月1日、東京・渋谷の旧松濤本部)

 お父様はにこにこして、わざわざ玄関まで私を見送りに来てくださいました。あとで、お父様が「時間がかかったけれど、決まって良かったね」とおっしゃっていたと聞きました。

 真の父母様は、一組一組のカップリングをされるのに、本当にご苦労されたようです。
 特に私たちの場合はそうでした。

 のちに真のお父様に呼ばれた際、お父様は「いちばん男らしい女と、女らしい男とを合わせる。だから3年間は喧嘩をするだろう」と、はっきりおっしゃいました。

 その予言は的中することになります。

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