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『祝福家庭』89号(2018年 夏季号)
小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」

救国救世のための勝共活動と思想戦
〜マルクスの生涯における4つの怨念

 彼ら(共産主義者)の本質について、「思想および宗教としての共産主義である」と見ておられたお父様は、「(共産主義の生みの親である)カール・マルクスの生涯における潜在意識を分析しなさい」とおっしゃいました。

 共産主義の出発点はマルクスで、その原点には彼の生涯における4つの怨念があります。
(ここではそのうちの2つを紹介します。)

 一つは、神様と宗教に対する怨念です。

 1818年5月5日、マルクスはユダヤ教のラビの家庭に生まれました。400年の伝統があり、マルクスの両親も熱心なユダヤ教徒でした。

 ところが当時、プロイセン政府の宗教はプロテスタントだったので、弁護士だったマルクスの父親は、一家の生き残りのため、プロテスタントに改宗せざるを得ませんでした。

 しかし、厳格なユダヤ教徒だったマルクスの母親は改宗に反対し、宗教を巡って両親(夫婦)が毎日のようにぶつかるという深刻な事態となったのです。
 それを見たマルクスは、神様と宗教が我が家を破壊させたとして反発しました。

 そのため、マルクスの発想はユダヤ・キリスト教的なものからヘレニズムに変わっていきました。
 17歳までのマルクスの詩を見ると、神様を讃美する、篤(あつ)い信仰心にあふれていました。

 しかし、次第にギリシャ・ローマ的な唯物的思想へと変わっていくのです。
 そして、矛盾と混乱の中、心を痛め、人格が崩壊していきます。

 左翼運動をしてみると、良心の呵責(かしゃく)に駆られるようになります。
 昼間は英雄的に活動しても、夜になると自己嫌悪に陥るというのです。

 かつて私も導かれる前に、3年間ほど左翼運動に関わったことがあり、そのことを実感しました。

 もう一つは、家庭と結婚制度に対する怨念です。

 前述のようにマルクス一家は、ユダヤ人でありながらプロテスタントに改宗したのですが、プロイセン社会からはユダヤ人として差別され、ユダヤ社会からは裏切り者として軽視されました。

 そのような状況の中、マルクスには4歳上で貴族の娘である愛人のイェニーがいました。
 彼女を愛するマルクスは、母親と姉の反対を押し切って彼女と結婚しました。

 彼女の父親はマルクスを支援しましたが、マルクスの母と姉は徹底的にマルクスを嫌い、我が家の裏切り者と排斥したのです。

 マルクスの兄が亡くなったとき、次男のマルクスが相続できるはずの遺産も、母親と姉の反対で相続できなくなりました。
 そのため、マルクスの生活は困窮し、私有財産に対する反感にもつながったのです。

 またマルクスは晩年、下女に手を出して孕(はら)ませています。
 共産主義の性解放理論は、このような一夫一婦の結婚制度に対する反対が根底にあります。
 それは私有財産を否定し、共有財産にする考え方の根底でもあるのです。

 マルクスの潜在意識には、これらの怨念があったことを知らなければなりません。そのような怨念に根ざした共産主義なのです。
 その怨念の呪縛から、真の愛によって解放していくことが勝共活動の目的でもあります。

▲共産主義の誤りを訴える小山田先生(19696月、東京)

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