2021.05.08 17:00
『祝福家庭』89号(2018年 夏季号)
小山田秀生先生の自叙伝
「真の父母様の御跡を慕って」
救国救世のための勝共活動と思想戦
〜マルクスの生涯における“4つの怨念”〜
彼ら(共産主義者)の本質について、「思想および“宗教”としての共産主義である」と見ておられたお父様は、「(共産主義の生みの親である)カール・マルクスの生涯における潜在意識を分析しなさい」とおっしゃいました。
共産主義の出発点はマルクスで、その原点には彼の生涯における“4つの怨念”があります。
(ここではそのうちの2つを紹介します。)
一つは、神様と宗教に対する怨念です。
1818年5月5日、マルクスはユダヤ教のラビの家庭に生まれました。400年の伝統があり、マルクスの両親も熱心なユダヤ教徒でした。
ところが当時、プロイセン政府の宗教はプロテスタントだったので、弁護士だったマルクスの父親は、一家の生き残りのため、プロテスタントに改宗せざるを得ませんでした。
しかし、厳格なユダヤ教徒だったマルクスの母親は改宗に反対し、宗教を巡って両親(夫婦)が毎日のようにぶつかるという深刻な事態となったのです。
それを見たマルクスは、神様と宗教が我が家を“破壊”させたとして反発しました。
そのため、マルクスの発想はユダヤ・キリスト教的なものからヘレニズムに変わっていきました。
17歳までのマルクスの詩を見ると、神様を讃美する、篤(あつ)い信仰心にあふれていました。
しかし、次第にギリシャ・ローマ的な唯物的思想へと変わっていくのです。
そして、矛盾と混乱の中、心を痛め、人格が崩壊していきます。
左翼運動をしてみると、良心の呵責(かしゃく)に駆られるようになります。
昼間は英雄的に活動しても、夜になると自己嫌悪に陥るというのです。
かつて私も導かれる前に、3年間ほど左翼運動に関わったことがあり、そのことを実感しました。
もう一つは、家庭と結婚制度に対する怨念です。
前述のようにマルクス一家は、ユダヤ人でありながらプロテスタントに改宗したのですが、プロイセン社会からはユダヤ人として差別され、ユダヤ社会からは“裏切り者”として軽視されました。
そのような状況の中、マルクスには4歳上で貴族の娘である愛人のイェニーがいました。
彼女を愛するマルクスは、母親と姉の反対を押し切って彼女と結婚しました。
彼女の父親はマルクスを支援しましたが、マルクスの母と姉は徹底的にマルクスを嫌い、我が家の“裏切り者”と排斥したのです。
マルクスの兄が亡くなったとき、次男のマルクスが相続できるはずの遺産も、母親と姉の反対で相続できなくなりました。
そのため、マルクスの生活は困窮し、私有財産に対する反感にもつながったのです。
またマルクスは晩年、下女に手を出して孕(はら)ませています。
共産主義の性解放理論は、このような一夫一婦の結婚制度に対する反対が根底にあります。
それは私有財産を否定し、共有財産にする考え方の根底でもあるのです。
マルクスの潜在意識には、これらの怨念があったことを知らなければなりません。そのような怨念に根ざした共産主義なのです。
その怨念の呪縛から、真の愛によって解放していくことが勝共活動の目的でもあります。
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