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預言 12
ミスター・ケンシントン

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金辰明・著

(光言社・小説『預言』より)

12 ミスター・ケンシントン

 智絢(ジヒョン)が養父母と共にアメリカへ出発した日、『基礎英文法』を持って孤児院から出て行った智敏(ジミン)は、路地裏でつらく苦しい生活を始めた。

 彼はまだ幼かったが、他人から受ける侮蔑を決して見すごそうとはしなかった。

 当然の帰結として、彼は喧嘩(けんか)に明け暮れる日々を送り、気性の荒い青年に成長した。

 しかし、幼い時から聡明(そうめい)で、非凡な頭脳を持っているとの賞賛を一身に浴びてきた智敏には、おぼろげながらも「勉強しなければならない」という思いが無意識のうちに残っており、安宿や刑務所ですらも本を手放すことはなかった。

 しかも智敏には、幼い頃から伸ばしてきた、周囲の人間があっと驚くような強みがあった。まさに、英語の実力だった。

 智敏は妹と離れ離れになったその瞬間から、早く成功しなければならないという一念で生きてきた。

 そしてアメリカに行って、妹とその養父母に会った時に一人前の兄の姿を見せなければならないという思いを、一瞬たりとも忘れたことはなかった。

 だから智敏は野宿をする時でも、殺伐としたケンカを終えてからも、自分の現在の状況を英語で表現した。

 智敏は小さな韓英辞典をポケットに入れて持ち歩き、世の中にある事物はもちろん、自分の頭に浮かんだ有形無形のものすべてを英語で表現しようと努めた。

 智絢に会いたい気持ちでいっぱいになると、さらに狂ったように英語の勉強にかじりついた。

 彼が自分で編み出したこの方法は、時間が経(た)つにつれて大きな効果を現すようになり、荒削りな発音だったが、いつしか英語で智敏に表現できないものは何もないほどになっていた。

 正式に英語を習った韓国人は、彼の独学英語を聞いて笑うこともあった。

 しかし一つ言えることは、英語を話す外国人は彼の言葉を正確に聞き取ることができ、ほかの韓国人よりも優れていると褒めることさえあったという点である。

 孤児院の院長から渡された住所を頼りに、智敏はワシントンDCにある智絢の家を訪ねた。

 「俺はジニーの兄の智敏といいます」

 14年前、孤児院で見かけたケンシントン夫人は、智敏が誰であるかを知ると、その場に泣き崩れた。

 「ジニーはたったの一度も問題を起こしたことのない、とてもいい子だった。お兄さんがいるということを一度も口にしなかったから、私たちは心の中ですごく心配してたの。6歳なら当然、離れ離れになったお兄さんのことを覚えているだろうに、何も言わないから、それがあの子にとって心の傷にならないかと気がかりで。でも大学に合格した途端、そのお祝いとして、韓国のお兄さんに会わせてほしいって言うものだから、本当にうれしかった。私たちは快く承諾したわ。いえ、承諾というよりも、それ以上の喜びはない、という意味でオーケーしたの」

 「ありがとうございます」

 「私たちはお兄さんがいることを知っていたわ。院長先生がお兄さんの話をしながら、彼の唯一の願いはジニーが大学に入ることだっておっしゃって、実は私たち、本当に感動したの。あの年でそんなことが言えるなんて。心底、驚いたわ」

 「実はあの時、隣の部屋の鍵穴からお二人を見ていたんです」

 「まあ、そうだったの! ということは、私たちを審査していたわけね?」

 「どんな方たちなのか、一目見てみたかったんです」

 「あの時、会えていたら良かったのに。本当は、夫がお兄さんも捜して一緒に連れて行こうって言ったのだけど、いろいろ問題があって、次の機会にすることにしたのよ。夫がここにいたら、あなたを見て驚くでしょうに。それにしても英語がすごく上手ね。夫はジニーのために、あなたを捜し出して韓国から連れて来ることも考えていたのよ」

 「今、ジニーのお父さんはいないんですか?」

 「私たちはジニーをすごく大切にしていた。ジニーは私たちにとって、太陽も同然だったわ。大変な時は、天使のように私たちを守ってくれた」

 智敏の胸が痛んだ。

 智絢、あの幼い妹は、異国の地で生き残るためにどんなに努力をしたのだろう。

 「夫はジニーを亡くしてから、おかしくなってしまった。彼は、ベテランパイロット二人に航空機関士までいたのに、なぜ007便があんなふうに飛んだのか理解できない、これはパイロットの問題じゃないって言い出して」

 「パイロットの問題じゃないというのは……?」

 「何かしらの陰謀があったということよ。夫はニューヨークやラングレーに通い詰めて、今はウィスコンシンにいるわ。自分で事件について調査をしているのよ」

 「いろいろなうわさが飛び交っていますけど、証明されたものは何もないし、俺も気が狂いそうです」

 「これにはきっと秘密工作機関が関わっているわ。夫は情報関係の仕事に従事してきた人だから、直感ですぐ分かるの。アメリカの情報機関は想像もできないようなことをやったりするから、夫はあらゆるルートを駆使して情報を探っているわ」

 智敏は予想外の話に驚かずにいられなかった。

 ケンシントン夫妻は007便撃墜事件に、アメリカの情報機関が関わっていると考えているのだ。

 「俺も事故の原因に関しては、誰よりも熱心に、マスコミの報道を全部チェックしましたし、たくさんの専門家の推測も見てきました」

 「そうでしょうね。私もそうだったもの」

 そのせりふのとおり、ケンシントン夫人が案内した部屋は、大韓航空007便失踪に関する資料でぎっしりと埋まっていた。

 「あなたがここに来たことを知らせれば、夫はすぐに飛んで来るでしょうね。今やあなたが、ジニーの唯一の形見なんですもの」

 ケンシントン夫人は受話器を取ると、メモ帳に書かれていた番号を押した。

 家に帰ってきたミスター・ケンシントンは、智敏の両手をぎゅっと握りしめたまま、口を開くことができなかった。

 彼のこのような姿に、智敏もやはりかけるべき言葉を見つけられなかった。

 彼ら夫婦が智絢を本当に大切にし、見守ってきたことを全身で感じたのだ。

 市内のレストランで夕食を終えると、ケンシントンは行きつけのバーに場所を移した。

 「ミスター・ケンシントン、ご愁傷様です」

 バーテンダーは心から哀悼の意を示したが、ケンシントンは意外にも淡々とした表情を崩さなかった。

 彼はバーテンダーと一言、二言交わすと、奥まったテーブルにスコッチを置き、智敏と向かい合って座った。

 ケンシントンは、溺愛していたジニーの兄である智敏を一目見るなり、まるで彼が自分の息子であるかのように喜び、完全に心を開いた。

 「君は今回の事件についてどう思う?」

 「……」

 ケンシントンはスコッチを一口流し込むと、声を落として再び尋ねた。

 「三人のベテランスタッフがあの飛行機を操縦していたんだ。私は韓国に長く住んでいたから、韓国人のことをよく知っている。韓国人のパイロットは特別だ。大部分が空軍パイロット出身で、彼らの精神力といったら想像を超えている。彼らにミスなどはあり得ない」

 智敏はうなずいた。

 「あの日、007便の操縦室には3人がいた。機長、副操縦士、航空機関士。彼らはみな、素晴らしいキャリアを積んだベテランだ。ミスなど生理的に、本能的に許容できない人種なんだ」

 「……」

 「それに、彼らが操縦していた飛行機はボーイング747だ。地球上で最高の旅客機であるのに加え、航法設定システムは全自動なんだ。スイッチを『INS』(慣性航法装置)に入れれば、飛行機は自動でソウルに連れて行ってくれる」

 ケンシントンの言葉の端々から、彼が大韓航空007便関連の報道ニュースを全く信じていないことを智敏は感じ取った。

 「陰謀があったと思っているのですか?」

 「もちろんさ。もう一度言うが、あの飛行機には15年以上飛行機を操縦しているベテランが2人も乗っていた。それに加え、航空機関士までいたんだ。当然、クロスチェックが三重になされたことは間違いない」

 ケンシントンの声は力強かった。

 「しかし、彼らだって人間なんですから、ミスをしたとも考えられませんか?」

 「数学的に考えてみようか。ベテランパイロットが飛行前に、操縦装置を間違えて操作してしまう確率は、事実上ゼロだ。しかし、あえて可能性があるとしよう。10パーセント程度にね。ミスする可能性を1人当たり10パーセントとすると、三人ともミスをする可能性は1,000分の1になる。ミスする可能性を1人当たり1パーセントにすれば、100万分の1だ」

 智敏は、ケンシントンの言葉には確かに説得力があると思った。

 「今までの調査によって、分かったことが四つある」

 「何ですか?」

 「精神科の閉鎖病棟に監禁されている軍人がいる」

 「閉鎖病棟?」

 「そうだ。イートンという将校なんだが、事故当日、アリューシャン列島のあるレーダー基地で、大韓航空007便がソ連領空に入っていく場面をレーダーで見ていたという話だ」

 「それで?」

 「パイロットたちに教えるべきだと主張したにもかかわらず上層部に拒絶され、飛行機が撃墜された後、精神に異常をきたした。良心の呵責で苦しんで退役願いを出したが、軍当局は退役させずに、閉鎖病棟に閉じ込めたのだ」

 「ただのデマじゃないんですか? 万一そんな事実があったとしても、外部に漏れるなんてことはなさそうですが」

 「そうだ、そんなことが露見するはずはない。しかし、このイートンという奴(やつ)は閉じ込められる前に記者に電話をかけて、会う約束を取りつけていた。その際、電話で大まかな内容を話していたってわけさ。実際、彼は約束の場所に行けず、閉鎖病棟に閉じ込められる身の上となったわけだが、事件の一端は発覚したも同然だ」

 「すると、大韓航空007便の撃墜は米軍が介入した陰謀だということですか?」

 「少なくとも、疑ってみる余地は十分にあるということだ。記者がこの件に飛びついて関係者に問い詰めたんだが、事件当時、イートンに対して大韓航空007便に警告を送るなと命じた上官は、ただ規則を守るように言っただけだと言い張り、頑(かたく)なな態度を崩さなかったそうだ」

 「そんな馬鹿な! 大韓民国の民間機がソ連領内に入っていこうとしているのに、警告をするだけで規則違反になるというんですか?」

 「軍なんてくだらないルールで満ちあふれている所さ。私が腹に据えかねるのは、上官の奴が、それがアメリカの民間機かどうかをチェックしたことだ。分かるか? それはつまり、アメリカの民間機なら、上官も規則がどうのこうのと言って、イートンを止めることはなかっただろうってことさ」

 「人の命が懸かっている時に、韓国の飛行機とアメリカの飛行機で態度を変えるなんて! そんなくそったれ野郎をアメリカ政府は放置するんですか?」

 「国家というのは、厳然たる現実なんだ。おそらくソ連の奴らも、大韓航空007便がアメリカの民間機なら、撃墜することはできなかったろうしな」

 「くそったれめ!」

 誰に向けたのか分からない罵声が智敏の口から漏れた。

 「国際関係の真理というのは、力しかない。レーダーやら戦闘機、ミサイルやらの冷たいハードウェアにだって、目と耳と脳がある。常に相手に合わせて作動するんだ」

 智敏は、ソ連に対して何の行動もせずに、ただひたすら糾弾大会だけを繰り返している韓国内の現実に思いを馳(は)せた。

 「もう一つの理由を話そう」

 「はい」

 「大韓航空007便が非常に長い時間、整備に時間をかけていたというのだ」

 「アメリカでですか?」

 「そうだ。もちろん通常の整備だったと言ってはいるが、そんなに長い時間、整備をしている間に何かを仕掛けられたとして、それが誰に分かる?」

 「仕掛けというと?」

 「スイッチに細工ができるって話さ。ギアの付いた小型モーターとタイマーさえあれば、大概のスイッチはパイロットがひねるのとは反対の方向に回るようにすることが可能なんだ」

 やはり情報分野の仕事をしていたからか、ケンシントンはあらゆる可能性を検討しているようだった。

 「3番目の疑惑は、あの飛行機に民主党の大統領候補として取り沙汰されていたマクドナルド下院議員が乗っていたことだ」

 「それが事故と何の関係があるんですか?」

 「CIAは一般人が想像もできない秘密工作を仕掛けるものだ。ターゲット1人を処理するために飛行機1機を落とすなんて何でもないことさ。さっき、イートン大尉が大韓航空007便に航路逸脱を教えてやろうとしたのに、上層部が阻止したと言っただろう。軍の陰謀が入り込んだのはその時点からだ。マクドナルド議員の問題は、秘密工作がそれ以前から始まっていたことを意味する」

 「最後の一つは何ですか?」

 「パイロットたちがアメリカのスパイである可能性が高い。『タイム』の記者はどこでかぎつけたのか、その情報に対して自信満々だ。かなりの紙面を割いて掲載しておきながら、情報源は明かさない。非常に奥深い所から出てきたトップシークレットという意味だ。その情報源をつかまなきゃいけないんだがな。ともかく、まだ何かは分からないが、バックに大物が隠れている」

 智敏は、ケンシントンが到底、智絢の死を受け入れられずにいるという事実を知った。

 そして、それは自分も同様だった。

 「韓国の様子はどうなんだ? すごいことになっているだろう?」

 大韓航空007便の撃墜が動かしがたい事実となった日、夜9時のニュースで撃墜の件よりも先に放映された、全斗煥(チョンドゥファン)大統領の早朝掃除のニュースを智敏は思い浮かべていた。

 さらに、全世界がソ連の戦闘機による撃墜だと報道しているのに、「第三国」の戦闘機によるものと報道されたことも思い出した。

 「大統領はくそったれで、マスコミはくそったれの中の、さらにくそったれですよ」

 智敏が政府を非難すると、ケンシントンはじっと耳を傾けた後、うなずいた。

 「現実的に見て、ソ連は世界で最も強大な軍事力を誇る国だ。保有している核兵器の数だけを見てもアメリカの3倍だが、その質においても決してアメリカに引けを取らない。特にソ連の原子力潜水艦から放たれるSS20に対して、アメリカではそれを防ぐ方法がない。アラスカの上空に重爆撃機を常に飛ばしてはいるが、不安なことに変わりはない。だからレーガンの奴は屈するしかなかった。どうせ甘い蜜は吸い切ってしまったからな」

 智敏はケンシントンの言っていることが理解できなかった。

 「甘い蜜を吸い切ったとは?」

 「自分の利益は確保したってことだ」

 「レーガンは自由世界を代表して、ソ連に制裁を加えようとしてるんじゃないのですか? 韓国ではみんなそう思っているし、レーガン大統領が大韓航空007便の復讐(ふくしゅう)をしてくれると信じていますよ」

 「あの老獪(ろうかい)な男はこの事件を利用したにすぎない。以前は多くの人が、彼が自分で約束したとおり、ソ連に圧力をかけて謝罪と賠償を取りつけてくれると信じていた。しかし、彼は選挙で圧倒的な優位を占めた途端、誰も予想していなかった宥和(ゆうわ)的ジェスチャーをソ連に送ったのだ」

 「冗談でしょう?」

 「アメリカの恥さらしさ。確かにアメリカ政府にほかの手段がなかったとはいえ、彼の軟弱極まる宥和策は、むしろソ連に免罪符を与えてしまった」

 韓国で接していたニュースとはあまりにも異なるレーガン評価に、智敏は驚かずにはいられなかった。

 「むしろ共産主義はさらに猛威を振るっている。既に南米の半分以上の国で、共産主義が猛スピードで広がっているのだ。10年後にはアメリカとヨーロッパの数カ国を除き、すべての国家がソ連の傘下に入っているかもしれないな」

 ケンシントンは地図を取り出し、共産化された国々を指さした。

 驚くべきことに、南米のほとんどの国が、共産党系の反乱軍と戦っているか、既に共産政府になった状態だった。

 「ソ連がこんなにも勢いを増しているなんて知りませんでした。韓国ではアメリカが世界の覇者だとばかり思っていますよ」

 「共産主義は憎悪を呼び起こすが、最も聞こえがいい理論で武装しているから、貧しい国の人々の耳には聖書の言葉よりも甘く響くのさ。とにかく一つ確実なことは、アメリカがソ連に恐れをなしつつあり、それによって全世界に共産主義が山火事のように燃え広がっている事実だ」

 冷戦体制のもと、人生の大部分を情報分野の仕事に費やしてきたケンシントンの、ソ連と共産主義に対する憎悪は並々ならぬものがあった。

 その話を聞いていた智敏は、胸に抱いていた思いを打ち明けても大丈夫そうだと判断した。

 「ミスター・ケンシントン!」

 智敏が改まって呼ぶと、ケンシントンは口に含んでいたスコッチを呑(の)み込み、智敏の顔に視線を移した。

 智敏はこわばった顔で、少し間を置いてから口を開いた。

 「俺がここを訪ねたのには、訳があるんです」

 「何だね?」

 「俺をソ連に送ってくれませんか?」

 「ソ連に?」

 「はい」

 「なぜソ連に?」

 「戦闘機のパイロットを殺します。韓国にいる間、ずっとそればかり考えていました。アメリカに無理やり渡ってきたのも、実はそのためなんです」

 ケンシントンは驚愕(きょうがく)し、智敏の顔を凝視した。

 「何だって?」

 「毎日布団に入るたびに智絢が現れて、復讐してくれ、仇(かたき)を討ってくれと泣き叫ぶんです」

 「パイロットを殺すだと? パイロットを殺す……」

 「智絢を失ってから、どうしたらソ連に復讐することができるのか、悩みもがきましたが、せいぜい軟弱な韓国人に突っかかっていくのが関の山でした。でも智絢が死んだ以上、俺だって死んだも同然です。幼い時に孤児院の院長先生から、ミスター・ケンシントンがアメリカの情報分野では上の方だと聞きました。どうか俺をソ連に送ってください」

 「いや、そうは言っても……。君の気持ちは分かった。だが君はまだ若いし、これから生きていく時間のほうが長いじゃないか」

 「このまま何もせずに生きていくなんて、俺には到底できません。復讐を忘れて生きるくらいなら、むしろ死んだほうがはるかにましです。俺はソ連に絶対行きたいんです。あのパイロットを殺すか、自分が死ぬか、二つに一つしかない」

 「いくら何でも無謀過ぎる」

 「それでも俺はやらなくちゃならないんです」

 ケンシントンは、愚にも付かない話とでもいうように両目を見開き、顔の前で手を振った。

 しかし、智敏が決して折れずに何度も頼み込むと、徐々に態度を和らげ、ついには彼もまた気持ちを高ぶらせて、智敏の手をしっかりと握った。

 「とてもじゃないが、私には考えてみることすらできなかった。そうだな、あの凶悪なパイロットの野郎こそ、ジニーの仇じゃないか。ジニーを思う君の気持ちの前に、私は父親として恥ずかしいばかりだ」

 「いえ、今までどれほどつらかったでしょうか。お察しします」

 ケンシントンは智敏に、そして自分自身に誓うかのように、拳をテーブルにドンと叩(たた)きつけながら言った。

 「やってみたまえ。しかし、これは本当に難しいことだぞ。まず国籍と身元を偽装しなきゃならないし、何よりロシア語ができなきゃいかん。奇跡的にビザが取れたとしても、パイロットの奴を捜し出すのはほぼ不可能だろう。この過程で何か一つでもバレたら、死ぬかシベリア行きだ。しかし、やらねばならん。ジニーのために、必ずやり遂げなきゃならんのだ」

 ケンシントンはグラスをつかむと、ガチャンと音がするほど乱暴に、それを智敏のグラスにぶつけた。

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 次回(5月18日)は、「ソフィア」をお届けします。


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