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日本統一運動史 32
日本に真の御父母様を迎える準備時代⑯
松本道子さんの名古屋開拓伝道

 『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』を再配信します。
 創立40周年の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
 今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。

歴史編纂委員会・編著

(光言社・刊『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』より)

第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代

三、草創期を築いた人々の歩み

(3)最初の主要都市開拓伝道以後の歩みと入教者の証し(1961.6〜)

1. 松本道子さんの名古屋開拓伝道

松本道子さんの手記
 「初めての開拓伝道が開始されました。名古屋に行って伝道所もできない間に、西川先生が巡回に来られるというので困ってしまいました。その時は金おばあちゃん(金在任《キムジェイム》さん)の家に住んでいたのですが、そこは焼け跡にトタンで囲いを立てて畳2枚を敷いた所なんです。仕方なくて名古屋城とか市内を案内していたら、西川先生は『どこに泊まっているの?』と聞くのです。『おばあちゃんの家にいるのだけれど、そこは焼け跡で、とても案内できる所じゃないんです』と答えたのですが、それでも連れていくように言うのです。案内すると西川先生は『神の娘が泊まる所は天国だ』と言います。金ばあちゃんもメシヤに会うような喜びようで『今夜はごちそうだ』と言って、スイカを切って出したりしました。その日は深夜まで話が尽きなくて、翌日西川先生は帰られました。」(『ファミリー』1983年9月号より)

▲名古屋開拓伝道での松本道子さん(1961年7月)

 「一足きりのサンダルは、減ってスリッパのようになり、石につまずいて足から血を流しながら名古屋中の教会を片っ端から訪ね、ただひたすら伝道して歩きました。…しかし、すべての教会は…こぞって私を非難し嘲笑したのでした。そうしたある日、路傍で一人のクリスチャンの女性に会い…自分の家に来てほしいと言います。…往復3時間もかかるところにありましたが…毎日その家を訪ね、2時間ずつ講義をしていきました。…いつものように彼女の家を訪ねていくと…お母さんが出てこられ『娘は今朝旅に出ました。…明日からは来なくて結構です。これは…今まで…通って下さったお礼です』と言って、封筒を差し出すのです。

 込み上げてくる悲しみと義憤にかられて…封筒を床に叩きつけ…あまりに悲しくて…そのまま気を失うかと思うほどに泣いたのです。…どんなに…殴られたり、蹴られたりしても、そんなのはちっとも痛くないのです。このように裏切られた時の心情というものは、本当に耐えられないもので、岩の上に座ると、また涙が溢れて来るのでした。そして、二千年前の…イエス様の心情がひしひしと伝わってきて、また絶叫の涙が溢れるのでした。そして『…神様、私はもうクリスチャンを伝道しません。こんな悲しさに耐えられません』と神様に向かって泣いて訴えました。

 伝道する力はないのですが、路傍伝道の時間が迫ってくると…黒板をさげ、山をとぼとぼと下りて…名古屋の駅前に立って、この日は泣きながら訴えました。…家につくと、一晩中泣いて祈って、その夜は泣きながら眠ってしまいました。

 目が覚めると…この日からはもうクリスチャンにこだわらず…すべての人々に伝道することにしました。…それで40日を終わろうと思ったのです。…そうして歩いていくうちに…講義の約束ができ…3人の婦人が待っていました。…細心の注意を払って…救世原理を語りました。イエス様のゲッセマネの心情を訴え…神様の歴史的心情を訴えました。…ところが講義が終わりに近づいた頃、…竹内みつゑさんという婦人が…やってきました。この婦人はとても熱心なクリスチャンで途中からでしたが側へ来て、じっと話を聞いているのです。そして…人間の罪の根、原罪は淫行にあると結論づけると、彼女は噛み付きそうな顔をして怒り出しました。『どこの聖書に、原罪が淫行だと書いてあるんですか。…とんでもない話です。あなたは異端です』と、私に食ってかかるのです。…後から来て水を差すものですから…『あなたは途中から入って来たのではありませんか。初めから聞かないで…間違っていると結論を出すことはできないでしょう』…。そうなると、竹内さんも私に劣らず勝ち気な人ですから、その場で激しい口論が始まりました。そして『…初めから聞かなければわからないというなら、初めから聞こうではありませんか』と言い出したのです。…

 翌日、大野(幸子)さんの家に行くと、8人くらいの人が集まっていました。竹内さんは昨日の話に憤慨し、『とんでもないことを言う人が来ました。皆さん、話を聞いてみましょう』と仲間のクリスチャンに呼びかけて集めていたのです。…創造原理から始めて…復活論まで、私は機関銃のように一気に語りました。…夜には13人に増え、気が付いたら夜中の1時でした。…その時には、もう貧血で倒れそうでした。…その日はちょうど、開拓を始めて40日目でした。…『…私はもう東京へ帰らなければなりません。どうか最後にこの終末論だけ聞いて下さい』と必死で頼むと、…翌日、…13人の中の一人、松本静永さんの家で講義をすることになったのです。…希望に満ちた終末の話を聞き、彼女たちは泣いて喜んで『ハレルヤ、ホザナ』と口々に叫びながら、私の周りに集まってきました。そして『松本先生、どうぞ行かないで私たちを指導して下さい』と言って私を引き止め、その中の小牧さんというお婆さんは、まだ開業していない幼稚園を教会として献納して下さいました。そのうえ、金婆さんが来て…5万円という大金を献金してくれたのです。…名古屋に初めての統一教会ができたのでした。」(松本道子『信仰は火と燃えて』より)

▲左から松本静永さん、竹内みつゑさん、5人目が松本道子さん、右端が金在任さん(1961年9月)

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 次回(5月14日)は、「日本に真の御父母様を迎える準備時代⑰」をお届けします。


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