2021.04.25 17:00
日本人のこころ 48
『太平記』―中世日本人の生き方が分かる
ジャーナリスト 高嶋 久
キリシタン版『平家物語』『太平記』
熊本県天草市の天草コレジヨ館にはイエズス会が天草に設けたコレジヨ(神学校)をはじめ、天正少年使節団が持ち帰ったグーテンベルク印刷機(複製)、南蛮船の模型、西洋古楽器など南蛮文化の資料が多数展示されています。同印刷機で印刷された天草版『平家物語』『伊曽保物語』『金句集』(いずれも大英博物館所蔵)は、16世紀に日本を訪れたキリスト教宣教師の日本語学習向けに編集された読本で、日本初の活版印刷です。中世日本語がポルトガル語式のローマ字で書かれているため、当時の発音や話し言葉を知る手がかりになっています。
イエズス会の宣教師たちが、日本の歴史や文化、思想、日本語などを学ぶ教材として注目したのが『平家物語』と『太平記』で、テキスト用に編集したキリシタン版を出版しました。当時、両書が知識人の間に普及し、彼らの間では身に付けるべき教養とされていたからです。
両書は主に当時の僧が布教目的で語り伝えたものなので、歴史物語の中に神仏の霊験譚や因縁話が挿入されています。『太平記』では、登場する武士の家族らから聞いた武功譚も加えられたので、いろいろな語り本があります。キリシタン版では、特にキリスト教が認めない宗教的な部分は削除し、全体の筋書きが分かるように編集されました。
戦前を代表する東洋学者の内藤湖南が「今日の日本を知るには、古代を研究する必要はほとんどなく、応仁の乱以後の歴史を知っていればそれでいい。それ以前は外国の歴史と同じくらいにしか感じられないが、応仁の乱以後は、我々の骨肉に直接触れた歴史である」と言ったのはよく知られています。応仁の乱は1467年から10年間の内乱で、『太平記』はその100年前、後醍醐天皇による建武の新政から50年余にわたる南北朝、公武の抗争を描いています。
『太平記』には『平家物語』の知識がないと理解できないくだりもあり、当時の知識人の間で『平家物語』は半ば常識化していたことが分かります。当時の人々は、両書を通して日本の国とは何かを学び、議論し、それぞれの領国の統治や活動に反映させたのです。中世は国人たちの領国経営により日本が経済的に発達し、日本という国の骨格がつくられた時代でもありました。
それが幕末になると、江戸時代に広く読まれた『太平記』の記憶が国学の勃興に一役買い、幕府の権威が弱まるにつれ、この国が天皇の国だったことを人々に想起させ、時代の流れを討幕・維新へと向かわせます。中世からの蓄積が明治の近代国民国家形成を成功させる歴史的な要因になったのです。
百科事典のように読まれた
中世の人たちにとって『太平記』は軍記物である以上に百科事典のように読まれていました。世の中と人としての振る舞いを学ぶ大切な教科書だったのです。為政者としての気配りや君臣関係、臣下のあり方、恋の仕方から死に方までが詳細に書かれていました。
さらに物語の中には、孔子、孟子ら中国の偉人から、天台宗の開祖・智顗(ちぎ)をはじめ中国の高僧など、平安時代からの公家たちが基礎知識としてきた中国人、『古事記』『日本書紀』の神々や人物も登場し、まさに百科事典だったのです。『太平記』の成立は14世紀後期ですが、僧侶とされる作者には諸説があります。
『太平記』は学問の場だけでなく、遊びの席でももてはやされていました。室町時代には伏見宮家の宴席で読まれ、都だけでなく薩摩国では島津家の家臣の遊興の席でも読まれていました。戦をする男性だけでなく女性にも読まれ、特に宮家に仕える女性たちの間では愛読されていました。寺では仏教談義の後で『太平記』が読まれ、16世紀には街頭でお金をとり『太平記』読みをする人が現れています。
『太平記』の基本にあるのは儒教道徳と仏教的な因果律です。王は徳をもって治め、臣下は道に基づいて仕えるのが儒教的な主従道徳、勧善懲悪の歴史ですが、事実はそうではなく、道徳的に正しいものが滅んだり、不道徳な悪人が栄えたりしています。それを因果律で説明しているのです。
世の中には儒教道徳など通用せず、人間の知恵や力を超えた摂理・因果律が働いています。しかし、現実の行動には自分の知恵と力に頼るしかなく、大きな因果律の前では無力だと自覚しつつも、自らの内なる倫理を基準に行動するしかないと諭しているのです。
『太平記』には明らかな明君も忠臣も登場しません。誰もが私欲を抱えながら、正義を掲げることでそれを隠そうとします。完全な善人もいなければ完全な悪人もいないという、日本人の人間観がそこには反映されています。
乱世は人知・人力の及ばない時代で、それを物語る『太平記』には人間の努力に対する信頼や、未来を信じる楽天的、進歩的な歴史観もありません。しかし、だからといって諦めるのではなく、歴史の蓄積を総動員し、知恵を働かすべきだと教えています。そうした人間観が中世にほぼ確立され、目の前の現実を直視し、自身の判断で行動するという日本人の倫理観が形成されたように思います。
キリシタン版『太平記』の概要を知るには、神田千里著『宣教師と「太平記」』(集英社新書)が最適です。吉川英治の『私本太平記』は『太平記』をもとに足利尊氏の若き日から鎌倉幕府の倒壊、建武の新政から南北朝の分立を経て湊川の戦いをクライマックスに、尊氏・直義兄弟の確執などを描いたものです。