私の心の中にいる神様 64
心がゼロになった時、良心が現れる

 良心との対話で、ワクワク感が止まらない!
 真の父母様が、「第二の神様」であると言われた“良心”。自分の心の中にいる神様―良心―と対話(瞑想、祈り)することによって、自己中心的な思いに囚(とら)われていたことに気付き、本然の自分を取り戻していくことができます。
 そんな真の父母様のみ言と解説、それに基づいた実践(ワーク)を軸に展開されている自己牧会プログラムの中で多くのかたが感じた体験をお届けします。

心がゼロになった時、良心が現れる

(男性 50代)

 ある土砂降りの雨の日のこと。わが家はちょうど引っ越しの日でした。

 新居でガスレンジの取り付けをしている時、元栓につなぐホースが劣化していることが分かり、妻から「新しいホースを買ってきてほしい」と頼まれました。

 土砂降りの雨の中の買い物に葛藤を覚えましたが、それを押し込めながら近くの店に行きました。しかし、2軒回ったのですが、合う物は売っていませんでした。

 土砂降りだし、もう諦めようかとも思ったのですが、ホースがなければ食事を作ることができません。
 さらに20分ほど歩いたところにも店があることが分かり、家族のためだと思い直して、そちらに向かいました。

 その店で無事に目当ての物を買うことができましたが、結果的に1時間以上歩き回り、家に帰り着いた時は頭のてっぺんから足のつま先までずぶ濡れでした。
 それでも、妻から「ありがとう」の言葉をもらい、行ってよかったと思いました。

 疲れ切った私は、その夜、少し早めに床に就きました。
 眠りに入る前に、長男が帰ってくる音がしました。長男は毎日、夜遅くまでアルバイトをしています。妻はおなかをすかせている長男のために、食事の世話をするのが日課でした。

 すると、妻と長男の会話がふすま越しに聞こえてきました。

「きょう大変だったのよ。土砂降りの中、ガスのホースを買いにいったんだけど、なかなかなくてねー。ようやく見つけてきたのよー」

長男「そうなんだー。大変だったねー」

 ん? ちょっと待てよ。この会話おかしくないか?
 完全に妻が買いに行ったことになっていて、息子から慰められている!
 一言も「お父さんが」という固有名詞が出てきてないじゃないかー!

 私は、今にもふすまを開けて飛び出し、「俺がー! お父さんがー!」と叫びたかったのですが、大人げないなと思い、その夜はただ忍耐して寝ました。

 次の朝、出勤前にシャワーを浴びながら、何か悶々(もんもん)としていることに気付きました。
 そうだ、きのうのことを引きずっているんだと気付きました。

 何でうちの奥さんはいつもこうなんだろう!
 この家には父親がいないんだ!
 だから駄目なんだ!
 前日の出来事とともに、過去からの積み重なった思いがふつふつと湧いてきたのです。

 マズイ、俺は今囚(とら)われている。
 そう気付いた私は、「この思いは本当の私ではありません」と必死に自らに訴え、「私は今シャワーを浴びている。体を洗っている」と、囚われを外すワークを実践していきました。
 するとだんだんと、それまでのいらいらが薄れていくのを感じました。そして、平安感とともに、心が完全にゼロになったのを感じたのです。

 そこで、「きのうの出来事を、真の愛を中心として父母の立場で見させてください!」と祈りました。
 すると間髪入れず、良心からのメッセージが返ってきました。
 「彼女はお前と一つなんだね」というものでした。
 私は、自分がそう思えていなかったことに恥ずかしさを感じました。同時に、彼女はいつもそう思ってくれていたのかという感動が湧いてきました。
 シャワーのお湯とともに涙が流れていく感覚でした。

 「自己牧会プログラム」では、「囚われを外し、心がゼロになった時、天の父母様が私の心の中に主人として現れてくる」と教えています。
 そのことを実感し、体感した瞬間でした。

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 次回(4月17日)は、「本当は怒りたくないんだ」をお届けします。


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