2021.04.07 17:00
家族の絆づくり 162
「目標」の前に「目的」を明確に
ナビゲーター:阿部 美樹
目的を変えると人生が変わる!
「何を目指すのか?」という人生の夢や目標を掲げて歩むことは、有意義な人生を歩むためには有効です。
しかし、現実は夢を実現できない人が多いのも事実です。実現の可能性が低い大きな夢を掲げている場合が多いという理由だけではありません。目標を掲げる前に、「何のために?」という目的が必要ですが、それが曖昧なのです。
車の運転は、行き先という目標だけ決めればたどり着くのではなく、燃料が必要です。人生も同じように目標というゴールと共に、燃料という動機付けとなる目的が必要です。
「お金がもらえるから」「得をするから」「褒められるから」という一時的・外的な要因ではテンションを高めることはできても長続きはしません。モチベーションを高める永続的・内的要因が必要です。それが目的です。ですから、「目的を変えると人生が変わる」と言うことができます。
「神のために生きる」という根本動機
「何のために生きるか?」という動機はさまざまです。
「お金のため」「成功のため」「成長のため」など、自分のためだけに生きるという人は凡人です。家族のため、人のため生きる人は善人です。さらには、地域社会のために生きるのが義人、国のために生きるのが忠臣、世界のために生きるのが聖人です。
さらに貴い動機があります。それが、「神のために生きる」ということです。天運の源、愛の源泉が神です。神のために生きる人には神が働かれます。神のために生きる人には悪が入り込むことはできません。
人間始祖の堕落により、人間の心には悪を誘発させる「堕落性本性」という性稟(せいひん)が入り込みました。
堕落性本性を大別すると次の四つになります。
第一が「神と同じ立場に立てない」、第二が「自己の位置を離れる」、第三が「主管性転倒」、第四が「犯罪行為の繁殖」です。
堕落性本性の反対の道こそ、創造本性による生き方になります。「神の立場に立ち」「自己の位置を守り」「主管性の秩序を守り」「善を繁殖させる」ことです。
最も大切なことは、最初の「神の立場に立つ」ということです。
これが貫かれていれば、第二以降の堕落性本性は生ずるはずがありません。神第一主義で、「神の願いのために生きる」「神を喜ばせるために生きる」私たちになりたいものです。