日本人のこころ 45
大阪府―小松左京『復活の日』『日本沈没』

(APTF『真の家庭』266号[202012月]より)

ジャーナリスト 高嶋 久

初の長編SFはパンデミック
 社会現象にもなったベストセラー『日本沈没』で知られる小松左京は、星新一、筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれた日本を代表するSF作家。初の長編SFがウイルスによるパンデミックを扱った『復活の日』(角川新書)で、1964年に発表されました。1980年には映画化されたので、ご覧になった方もいるでしょう。

 物語は、イギリス陸軍の細菌戦研究所から猛毒の新型ウイルスがスパイによって持ち出されたのが始まり。スパイの乗った小型飛行機は吹雪のためアルプス山中に墜落し、保管容器が砕けたため、ウイルスは大気中で増殖し、全世界に広まりました。当初は家畜の疫病や新型インフルエンザと思われたのですが、心臓発作による謎の突然死が相次ぎ、世界は壊滅状態に陥ります。半年後には35億人の人類を含む地球上の脊椎動物が絶滅してしまったのです。

 生き残ったのは、南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していた米ソの原子力潜水艦の乗組員だけ。南極では国を越えて「南極連邦委員会」が結成され、種の存続のために女性16人による妊娠・出産と、ワクチン開発が始まります。

 4年後、アラスカで巨大地震が起こり、それをソ連の核攻撃と誤認したアメリカの迎撃システムが作動し、米ソの報復合戦で世界は2度目の死を迎えます。ところが、中性子爆弾の爆発によってウイルスの無害な変種が生まれたことで、南極の人々は救われます。

 6年後、南極の人々は南米大陸南端に上陸、小さな集落を構え、人類は滅亡寸前で新たな再生への道を踏み出すことになります。

 実際に世界で起きた事件や最先端の研究を基に書かれた本書は迫真性があり、冷戦時代の対立を乗り越え、パンデミックによる人類絶滅の危機から、復活に向かう人たちの姿が感動的に描かれています。

▲小松左京・著『日本沈没』〈上〉(角川文庫)

日本人の情念を信じたい
 私が感動したのは1973年の映画「日本沈没」で、祖国を失った日本人が世界各地にディアスポラ(民族離散)していく姿が印象的でした。同書を書いたきっかけについて小松は、「やはり『一億玉砕』『本土決戦』への引っかかりがあったからだ」(『SF魂』新潮新書)と述べています。戦争末期のそんな空気をどうしても肯定できず、だったら国をなくしてみたらどうなるのかと考えたのです。

 ですから、小松が本当に書きたかったのは、日本が沈没してからの第2部でしたが、科学的なリアリティを持ち込んだため、沈没までの第一部が長くなり、第2部が書けなくなってしまったそうです。

 ディアスポラの典型がユダヤ人で、世界に散らばり、迫害されながらも生き延び、ついにはイスラエルを建国させたのは、強烈なメシアニズム、選民意識です。

 しかし、日本人は対照的で、そんな思想や宗教はありません。小松が注目したのは、家族を中心とする共同体(コミュニティー)です。和を尊ぶことで共同体を維持し、国を発展させてきました。それが、島国から世界に放り出されたらどう生きていくのか、ナショナリズムとコスモポリタニズムをどう融合させるのか、が小松の問題意識でした。

 好奇心と教養にあふれた小松は、デビュー当初から幅広いジャンルで活躍し、1970年の日本万国博覧会ではテーマ館のサブ・プロデューサー、90年の国際花と緑の博覧会では総合プロデューサーを務めました。

 未来学の提唱者の一人でもある小松は、『未来の思想』(中公新書)で、人間はまだ「輪廻史観」「終末史観」「進化史観」の3つしか発明してないとし、「なぜ人は自然の中で生きていくのに最低限必要な能力以上の過剰な脳を持ってしまったのか」と問いかけています。そして、「人はなぜ生まれ、死ぬのか」「人間はなぜ未来を考えるのか」という根源的な問いを発し、それに対する仮説も示唆しています。

 私の考えは、「宇宙が人間の生存に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という、宇宙論の一つ、人間原理に近いもので、「宇宙は宇宙自身を観察するために、その能力を持つ存在として人間を創造した」というものです。

 そうした背景を持つ人間は誰でも自分に興味があるので、自己探求をするようになり、その究極が宇宙論です。そのために過剰な脳を持ち、生き物の本能の限界を超える「死」についても考えるようになったのでしょう。

 大阪生まれで関西に住み続けた小松は、阪神・淡路大震災ではボランティアとして救援活動に当たりました。絶筆となった『311の未来』(作品社)の序文では、次のように述べています。

 「しかし私は、唯一の被爆国の国民であり、核兵器反対から左翼青年になり、SF作家になった人間として言いたい。2発の核爆弾は29万人の命を一瞬にして奪った。今回の原発事故は、数千万人の人々を不安にさせているが、20117月現在、まだ一人も死に至らしめていない。この事実を冷静に見つめたい。

 私は、まだ人間の知性と日本人の情念を信じたい。この困難をどのように解決していくのか、もう少し生きていて見届けたいと思っている」

 そして同年726日、華やかな人生に幕を下ろしました。

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