家族の絆づくり 160
創造本性と堕落性本性は紙一重

ナビゲーター:阿部 美樹

二つの本性の分岐点は?
 堕落は「神と同じ立場に立てない」ということから始まりました。言い換えれば、「神中心ではなく、自己中心の動機を持つようになった」ということです。

 このように動機は「神中心」と「自己中心」という二つに大別することができます。
 この「動機の善しあし」で人生が大きく左右されます。創造本性でも自己中心になると堕落性本性になり、堕落性本性のように見えても神中心になると創造本性になります。まさにこの二つは紙一重であると言えます。

それって本当に堕落性本性?
 「嫉妬心」を堕落性本性のように捉えがちですが、『原理講論』には「創造本性から誘発されるところの、不可避的な副産物であり」(122ページ)と記されているように、創造本性から出てきた心です。

 この「嫉妬心」は神中心の動機であれば、「優れたものに憧れる心」「優れたものを目指す向上心」になります。しかし、自己中心の動機になると、恵まれた人の「足を引っ張ろうとする心」や「攻撃しようとする心」という堕落性本性に変わります。

 また、「自信と誇り」を持つことは神の子女として大切な創造本性ですが、自己中心になると自信過剰の「傲慢」になり、過度に自己主張する「自己顕示欲」という堕落性本性に変わります。

 堕落性本性の2番目の「自己の位置を離れる」という堕落性本性の例えとして「血気怒気」を挙げることがあります。
 「怒り」は堕落性本性でしょうか。義憤という正義のための怒り、愛のための怒り、さらには防衛本能からの怒りなどは創造本性です。

 『原理講論』では、「神は…御自分の性相と形状のとおりに、喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、それを見て楽しもうとされた」(64ページ)と説明しているように、神にも怒りがあるということです。

 しかし自己中心の動機になると、相手を攻撃したり、裁いたり、要求する「破壊の衝動の怒り」になり、その瞬間、堕落性本性になります。

 このように動機に敏感になり、常に創造本性で生きていきたいものです。