家族の絆づくり 159
「信仰生活」から「孝情生活」の段階へ

ナビゲーター:阿部 美樹

神を信じる「信仰生活」
 統一原理では、人類の不幸の出発を「神のみ言を不信して自己中心に生きたこと」であると解いています。

 神を不信することを通して、堕落人間は自分に対する「自信」を失い、人に対する「信頼」も失い、何事に対しても「信念」を貫けなくなってしまいました。
 ですから復帰の道は反対に、神のみ言を信じて神中心に為に生きることになります。

 不信する心に主管されることなく、信じる心を貫くことが必要です。
 「信」という字も、人偏に言と書くように、人はみ言を信じてこそ、成長し完成するようになっています。

 このような信仰生活を通して創造本然の姿を取り戻すことは大切なことです。不信の思いが湧いた時こそ、誰かのせいにしたり、環境のせいにしたりするのではなく、神に近づくチャンスと思って信仰を貫きましょう。

神を愛する「孝情生活」
 しかしみ言を信じることがゴールではありません。
 「み言の目的は実体であり、実体の目的は心情である」(『御旨の道』)と真の父母様が語られたように、最終的には心情の体恤(たいじゅつ)がゴールです。

 心情とは「愛を通して喜びを得ようとする情的衝動」です。
 神の子女である人間にとって、「神様を愛したい!」という情的衝動によって生きることこそ、最も本質的な生き方ではないでしょうか。

 自分が「喜んで生きる」ことも大切ですが、誰かを「喜ばせるために生きる」という生き方はさらに素晴らしい生き方です。

 これからの時代は、「信仰生活」というよりも、「孝情生活」と表現した方が適切なのではないかと思います。
 「信仰」の土台の上に「孝情」が育まれるように、家庭の中でも「信頼」の土台の上に「心情(愛)」を豊かに育んでいきましょう。