1978年9月20日から25日まで、真の父母様が来日されました。23日には、松濤本部に全国の責任者を集められ、真のお父様が、「我々の今後の活動」(『ファミリー』1987年11月号に掲載)と題してみ言を語られました。このみ言は、主に「ホームチャーチ」伝道についてでした。
「誕生日の祝い会とか結婚式の祝い会、また夏になればピクニックに行くなど、そういうことがなんでもできます。そういう行事を私たちは組むのです。……直接に伝道をしなくても、そういうような社会的活動を中心として、一歩一歩固めていくのです」
「三六〇軒において、どういう活動をするか。活動は簡単です。毎日会うのです。難しい話や原理の話は、半年ぐらいはしなくてもいいのです。……皆で、その三六〇軒の中に、地上天国、外的天国を造るのです。……壊れたところがあったら、ペンチとかハンマーとかを準備して修理してやるのです。崩れている所があったら、専門家が三十分でできるのを、自分は三時間かけてやればいいのです。外的天国を造るような事をやるのです。これは奉仕です。木を切ったり、草を抜いたりするのです。それは誰がやっても、皆、歓迎しますよ。周囲が汚いから、自分がここに住んでいる以上は、社会奉仕するのです。……それで、その町で何日間かで、友達を作っていきます」
このみ言を読んで、本当に驚きました。今、私たちが推進している地域化伝道と全く同じイメージではないですか。
今、私たちは、真の父母様が40年前に願われた伝道を実現しようとしているのです。そこに、日本に対する天の願いを見ることができます。
○ U-ONE TV「周藤健先生自叙伝」(第38、39回)の中から、米国での「ホームチャーチ」活動に関する証しの一部です。
プラタナスの落ち葉掃除をしていたときに出会った婦人
私は、教会の責任を果たしながら、ホームチャーチ活動をやりました。
あるとき、(ホームチャーチのエリアの街路で)プラタナスの木の落ち葉掃除を終えて帰ろうとしたときに、婦人がほうきを持って家から出てきました。白人の女性です。辺りを見回していました。私が掃除をしていることを知ってか知らずか、分かりません。
私は、その婦人のところに行って、「お手伝いいたしましょうか?」と声をかけたのですが、婦人の反応が悪かったのです。変な目つきで、〝小さいこのチャイニーズ、何しにきたのだ!〟こんな感覚でした。
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