万物主管というのは、衣食住、すなわち、食べたり、服を着たり、住居や物を使うことだけを指すのではありません。産業や政治、科学、経済、芸術など、万物を取り扱う活動全般を指します。
人は誰でも、特に成長期の若者は「こういう人になりたい」という夢をもちます。実業家、政治家、科学者、芸術家など、さまざまに思い描きます。その夢を実現するために、学校に行って勉強したり、トレーニングやレッスンをしたりして努力します。必要な物をそろえ、利用し、時間をつくること、それら全てが万物主管です。
そして、私たちの個性や能力をもって、万物の価値を見いだし、把握し、真の愛で主管するようになるとき、完成していくのです。
それは簡単なことではありません。神様ご自身でさえ、簡単に万物を創造されたわけではないのです。もてる能力とあらゆるものを投入し、長い時をかけ、全身全霊を込めて被造世界をつくられました。
私たちもまた、万物を主管するとき、神様がなさったように、神様の心情と一つとなって、神様の愛で主管し、その万物の価値を本当の意味で発揮させていくことが大切です。
無形なる神様が直接、万物を主管されるのではありません。ご自身の創造の心情圏と一体となった真の人間を通して、万物を治めるように創造されました。人間は、万物世界を神様からお預かりしているのです。ですから、真の人間となって神様の愛によって万物を主管しなければなりません。
では、私たちは万物の真の主管者になっているでしょうか。あなたが手に持っているボールペンにもし口があったら、残念ながら、「あなたに主管されてうれしい」ではなく、「あなたには愛がないから、主管されたくない」と言うのではないでしょうか。
人間と同じように、万物も、粗雑に扱われるよりも大事にしてくれる人、真の愛の人のところに行きたいと思うのです。
「森羅万象は、各々その程度の差こそあれ、すべてが知情意の感応体となっている」(『原理講論』60ページ)とあるように、万物は私たちの情や動機を敏感に察知します。