自然は、ために生きる愛をもった息子、娘が生まれるとき、その息子、娘に、ために生きることのできる万物として、贈り物として神様が下さった展示品です。一羽の鳥も、一株の草も、愛の息子、娘たちの生活を美化するために造られた装飾品なのです。
道端に転がっている石ころも、息子、娘が国を治める主人になることを知っていて、その国の装飾品として造ったというのです。流れる水も同じです。無味乾燥で単調であってはいけないので、造化無双な和合の園をつくり、愛のための世界を見て、それを相続できる夢の王子、希望の王子を造るために創造したというのです。ですから、万物を通して学ぶのです。(天一国経典『天聖経』六・三・四・3)
本来、人間始祖は、神様の心情と愛を中心として、神様と完全に一つにならなければなりませんでした。神様は、心情の目的を完結するために天地を創造されたので、この心情の対象である天地万物を愛する息子、娘に、愛を中心として相続させてあげなければなりません。
神様が天地万物を創造されたのは、神様のためでなく、アダムとエバのためだったので、喜びもまた神様御自身によって生じるのではなく、アダムとエバによって生じるのです。世の中の父母も子女を見て喜びます。そのように、喜びとは対象によって生じるのです。
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