【B-Life『世界家庭』コーナー】
フィリピン便り⑨
フィリピン食口が日本のためにできること

 2010年から2011年まで『トゥデイズ・ワールド ジャパン』に掲載された懐かしのエッセー「ハロハロ フィリピン便り」を、特別にBlessed Lifeでお届けします!

 筆者のトゥパス サチコさんは、3億6千万双のフィリピン・日本家庭です。

※ハロハロとは、タガログ語で「混ぜこぜ」を意味する言葉。フィリピンの代表的なかき氷デザートを指す。

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 (2011年)3月11日、外出していたのですが主人からの電話で東日本大震災のニュースを知りました。すぐに自宅に戻り、日本のテレビ番組をつけました。

 すると日本の地震のようすが流れていて、まるで津波が押し寄せる映画のワンシーンを見ているかのようで信じられない光景でした。

 フィリピンでは日本人の先輩のお姉さんを中心に、日本にいる家族や知人などの無事を確認し合いました。私の実家は青森ですが、幸い高台にあるため無事でした。

 この日、フィリピンにも日本の地震の影響による津波警報が出たようで、海岸沿いの人たちは避難したといいます。ニュースでは頻繁に日本の地震、津波の報道が繰り返しされ、「TSUNAMI, TSUNAMI, TSUNAMI……」とアナウンサーの話す言葉が耳に残りました。

 私はフィリピン人の食口や知人に会うたびに「日本を心配しているよ!」「フィリピンに家族を連れてきたらどうか?」「あなたの家族やお友達は無事ですか?」と何度も聞かれました。

▲フィリピンの新聞に東日本大震災のニュースが掲載される

 フィリピンも自然災害の多い国で、1年ほど前にも台風の影響でたくさんの家が浸水し大変な被害に遭ったばかりだったため、人ごとではなかったのです。

 ちょうど、日本で地震が起きたときアジア大陸会長がフィリピン教会を訪問しておられたので、急遽、日本人姉妹たちを集め、ミーティングが行われました。

 「母の国である日本を守るために私たちができることは何か? み言にもあるように、日本人はいろんな国に行ってその国で定着し、教育しないといけない。それが私たちにできる日本を救う道ではないか」と語られ、身が引き締まる思いでした。

 今回の地震で被災されたかたがたの復興を心からお祈りし、母の国・日本を支えることのできる娘の国になりたいと思います。

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(この記事は、『トゥデイズ・ワールド ジャパン』2011年5月号に掲載されたものです)


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