コラム・週刊Blessed Life 154
人生のパラダイムを正しく設定せよ

新海 一朗(コラムニスト)

 「地上の人生のパラダイムを正しく設定せよ」
 これが私自身と私の周りにいる人々に言いたいことです。

 結論を言えば、あの世で「自分」はどういう姿で過ごすことになるのかを考えてくださいということです。地上の人生のパラダイムこそが重要なのです。

 巨万の富を築いた石油王ジョン・ロックフェラー(1839~1937)は、あの世に旅立った後、「いつも寂しく、息が詰まるような肌寒い環境」で過ごしていることを、この世の人々に伝えてきています(李相軒先生が霊界から送ったメッセージより)。

 ジョン・ロックフェラーは、実業家としての顔を見ると、無慈悲なほどに競争相手を蹴落とし、次々に買収を繰り返しました。そのような強力な「魔性」を感じざるを得ません。しかし一方で、晩年の彼は篤実な慈善家としての顔を見せています。

 人間は徹底した「あくどさ」に生きることができる生き物でしょうか。莫大な資産を形成し、人助けができる立場にある人が、それ以上に富を追い続け、人助けには目もくれないということが果たしてできるのか。答えはおそらく「NO」です。ジョン・ロックフェラーは、晩年は好々爺(や)であり、慈善を力いっぱい実践した人です。

 それでも、あの世では「息が詰まるような肌寒い環境」で過ごす羽目になりました。ジョン・ロックフェラーの地上における日常生活の豪華絢爛(けんらん)たる環境、そして彼の周囲を動き回り仕えた人たち、その環境も人々も、彼の死の前では無用のものに過ぎませんでした。

 あの世で彼は偉大なかたの愛と真理を学び、物質的な繁栄の価値の意味を悟りました。そして物質的な富は自分のものではない、誰のために使用するかを考えなければならないと悟ったのです。ジョン・ロックフェラーはあの世で生まれ変わりました。

 もし富があれば、その富は自分のものではなく、世の人々のために預かったものであると考えるべきです。

 松下幸之助は彼の事業と名声が高まっていく中で、「松下電器は社会からの預かりものである。忠実に経営し、その責任を果たさなければならない」と考えました。徹底した公益思想です。神様からの預かりもの、社会からの預かりもの、こういう考えが必要です。あの世で、「息が詰まるような肌寒い環境」に行かないための生き方です。

 もし知識があれば、その知識は自分のものではなく、世の人々のために役立てるためにあると考えなければなりません。もし権力を持っているのであれば、その権力は人々に役立つように用いるべきであると考えなければなりません。
 神様が自分に与えてくれた賜物は人々のために役立てるためであると、心の底から悟る必要があります。

 鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(1835~1919)は、霊界で偉大なかたから「ある国では財物があり余り、ある国では飢餓にあえいで生きていることを、深く考えて見たことがあるのか」と深刻な問いを投げられ、愛と真理の深い教えについて学びました(李相軒先生が霊界から送ったメッセージより)。

 学んだ結果、カーネギーは自分の地上の人生があまりにも哀れなものであったと悔いたのです。財物こそすなわち神であるというような価値観で生きた人生を恥じ入ることになったのです。

 今世界では、グローバリズムという名の偽りの金融経済の思想が荒れ狂っています。財産と財物をひたすら貯め込む一部の富豪勢力は、根本からその価値観を変えなければなりません。
 ロックフェラーやカーネギーのような悔いを残さないために!