2021.02.05 12:00
日本統一運動史 19
日本に真の御父母様を迎える準備時代③
崔奉春宣教師の信仰とサタンの試練
『日本統一運動史~文鮮明先生御夫妻と日本の統一教会および統一運動の歩み』を再配信します。
創立40周年の際に発刊されたこの書籍は、日本における文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻の貴重な歴史的足跡と、多岐にわたる統一運動の歴史をまとめた一冊です。
今、改めて読んでおきたい、日本の統一運動の歴史を振り返る連載です。
歴史編纂委員会・編著
第三章 日本に真の御父母様を迎える準備時代
二、崔奉春宣教師の開拓期における絶対的信仰
(1)崔奉春宣教師の信仰とサタンの試練
「当時、合法的ではない私には食べるところもなければ、寝るところもなく、時には、雪の中でもいいから、心をゆるして寝てみたいと切望したほどであります。…私には職を求めることすらできず、…一日、二日、三日、四日、いつ食べられるのか…悩みは深刻でありました。…あるときには歩いて伝道に行かなくてはならず、しばらく行き着いた家では、『そんな話をしに来たのか』と言って追い出されました。元気を出して、この人こそはと歩いて来たのに、異端者だといって追い出されたのであります。
外へ出たときには雨が降っておりました。追い出されたその家の玄関に立つわけにもいきません。空腹を抱え、行くところもなく雨に打たれて、頭も洋服もぐっしょりぬれたのであります。もはや歩く元気もなく、また歩いても行く当てもないのであります。
不法の身では公園に行くことすらできず、遠い遠い運動場を探し当てて、そこにあるコンクリートの椅子の上で体を休める外なかったのであります。何の希望もなく、ぐったりと歩くその自分の姿がガラス窓に映って、そのみじめな様子に抱いていた大望には変わりなくとも、心の片隅に悪魔がささやくのであります。
『それでも神の子か』…それはまさしく現実がささやくのであり、事実がささやくのでありました。『それでも天宙復帰問題じゃないのか。問題があり過ぎるではないか』と。…それでも最後の頼みの綱は、私の身体でありました。元来そう健康な身体ではありません。その最後の頼みとする身体も、ある日とうとう血を吐いて倒れてしまったのであります。その瞬間、後ろに車の走ってくるのを感じました。…人間はいかに苦しみ、死に瀕していても、死の前には身体を守ろうとするものであります。
しかし、私はその時には、もう死さえ恐ろしくなくなってしまっていたのであります。『早く自動車よ、ひいてくれ』。そんな心持ちでありました。そして…『私はもうやるところまでやって今、召されて霊界に行くのだから、少しも恥じるところはない。死ぬまで一生懸命やったのだから』という心で、死の訪れは、私にとっては最高の慰めであり最高の喜びだったのであります。…しかしその瞬間に私は『サタンよ去れ!』と言ったのであります。
私一人の私であるならば、ここで死んでも良いが、私は一億の幸せの責任を持つ者であり、30億人類の幸せの責任を持っている者であり、億兆万の霊人を復活させなければならないという責任を持つ身であります。それにもかかわらず、一人の慰めを喜ぶ自分なのかと、その瞬間、私は反省したのであります。サタンは微妙に働いてくるのでありました。しかし、私はそこで再び伝道の道へ立ったのであります。」(1964年12月18日の総会での崔奉春宣教師の講話から)
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次回(2月12日)は、「日本に真の御父母様を迎える準備時代④」をお届けします。