愛の知恵袋 146
航海か、漂流か、迷走か

(APTF『真の家庭』267号[2021年1月]より)

松本 雄司(家庭問題トータルカウンセラー)

高砂や、この浦舟に帆をあげて…

 新年明けまして、おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 新型コロナのパンデミックの中で波乱の出発ですが、この世界的な試練も、私たちの自助努力と一致団結で、ピンチをチャンスに変える知恵を絞って、良き年にして参りましょう。

 さて、年頭にあたり、自分の人生を振り返り、再度、軌道を正して出発したいと思います。

 数年前、知人に招かれて結婚披露宴に参加しました。最近では少なくなった伝統的な結婚式でした。その中で、親族と思しき初老の男性が謡曲を謡いました。

 「高砂や この浦舟に 帆を上げて 月もろともに出潮の 波の淡路の島影や 遠く鳴尾の沖過ぎて はや住の江に 着きにけり」

 そのあとを受けて、来賓の一人が祝辞を述べました。

 「今日、この佳き日に、新郎○○君と新婦○○さんは、めでたく結ばれ、二人で新しい人生の船出をされました。この人生の航海には、順風満帆の日もあれば試練の嵐もあることでしょうが、どんな時にも力を合わせて乗り越えて、大きな幸せをつかんでいただきたいと思います」

人生は大海原に挑む舟の旅に似ている

 人生の旅路は、よく航海に例えられます。結婚によって旅の伴侶を得て、親の庇護という港から船出して、世間という荒海に乗り出すのです。二人で呼吸を合わせてしっかり舵を取らないと、暗礁に乗り上げてしまいます。行く手に潜む数々の難所を突破しながら、旅の終わりに見事“理想家庭”という港に到着できれば大成功です。

 私の肉体は舟であり、主人(船長)である霊魂を目的地(天国)に運ぶのが役目です。この舟は神様が各人に一隻だけ授けて下さるもので、スペアがないので大切に運用しなければなりません。

 ところで、私たちは自分が気が付いた時にはすでに人生航路の途上にあり、海の上を漂っていました。やむを得ず舵を手に取り、とりあえず前を行く舟、隣を行く舟を見ながら、できるだけ大勢が向かっている方向に針路を合わせて「自分丸」を進めています。

 豪華な舟もあれば、質素な舟もある。途中で立ち寄る島々で、酒食を楽しみながら長逗留をする者もいれば、日々の食料と燃料を調達することで精いっぱいの者もいる。

 突如発生する嵐のために難破する舟もあれば、運よく切り抜ける舟もある……。

本当の“航海”とは何か

 海の上に浮かんでいる姿だけを見れば、どの舟も「航海」をしているように見えますが、よく聞いてみると、実は、ほとんどの舟が本当の航海をできていないことに気が付きます。

 なぜなら、この船長たちに「どこに行くんですか?」と聞くと、「さあ? わからない…」と言うのです。

 真の航海というものは目的地が明確であり、そこに与えられた時間内に到達するために、嵐や岩礁を避けながら、最善の航路を選択して航行するものです。

 例えば、横浜が起点で最終目的地がサンフランシスコであれば、太平洋の荒波を越えなければなりません。ハワイで食料・燃料を補給して、さらに太平洋を横断して目的地を目指します。

 この大航海、もし、期限内に目的地に着けなければ、途中で食料と燃料が尽きてしまいます。その為、船長は時間と燃料・食料を計算し、絶えず計測しながら現在位置を確認し、針路にずれがあれば何度でも修正し、ひたすら期限内に目的地にたどり着くように全力を尽くします。

今の私の人生は、航海か、漂流か、迷走か

 従って、海の上を動き回っている姿は同じでも、船長が行く先すらわかっていないとすれば、それは、風まかせ潮まかせの“漂流”です。

 また、一度は目標を決めて出発したものの、途中で見失ってしまえば“迷走”になります。

 人生航路も同じです。人生の最終目的を見極めないまま、ただ時の流れに身をまかせながらの暮らしを続け、やがて、燃料切れで死んでいく…。そんな一生なら悲しい“漂流人生”です。

 「日暮れて、道遠し」(目的地にたどり着かないうちに、日が暮れてしまった)<伍子胥(ごししょ)>

 地上の人生は短いものです。自分に与えられた時間はあと何年でしょうか?

 人生とは何か? 人生の最終目標は何なのか? 私は生きているうちにそこにたどり着けるのか? 針路は正しいか? 速度はこれで大丈夫か? 隣の道連れとは仲が良いか?

 こんな質問を自分にもう一度問いかけて、その答えをしっかりと握り締めて、貴重なこの一年を歩んでいきたいものです。

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 次回の配信は2月5日です。